ふぞろいのひとつ
「おりてくるウォーグルが見えたので、出てきてみれば。またか」
クスリソウ、もちもちキノコ、きらきらミツ、その他もろもろを両腕いっぱいに、視界のした半分が隠れるたかさまで積みあげたわたしを見て、橋のたもとに立つひとは第一声にそう言った。
まだあいさつさえできていない。だけどいまはなにごともなく目標地点までたどりつくのが最優先タスクで、またその達成条件というのが、ごく単純ながらいっさいの油断を許してくれない程度にはむずかしい。あいさつをするだけの、ましてや声の主の表情やそこからにじむ感情を気にかける余裕はなかった。
だいじょうぶ、ここまではどうにかやってこられたのだから、あとすこしくらいどうということもないはずだ。そうしたらすぐに。自分に言いきかせて、ひとまず前方へ進むのに意識をかたむける。
やがて、さながら風にはこばれるフワンテじみてよろよろとしたありさまだったかもしれないし、達成感よりも疲労感のほうがつよく主張しているけれど、とにかく目標を完遂できた。クラフト台のかたわらに素材の山をどんとおろして立ちあがり、襟巻きに引っかかっていた黄色いもの——たぶんいきいきイナホのひとつぶ——を山の頂上にのせて、背後へ向きなおる。
「……おじゃまします」
ゆったりとした足どりでそこへ歩みよってきていたコギトさんは、ようやく言えたあいさつには反応しないまま、本日の探索の成果を三秒間じっと見おろし、おなじだけの時間をかけておもてをあげた。
「毎回毎回、よくもまあ」
ぐうの音も出ないって、きっとこういうことを言うんだろう。
探索に出る。ポケモンをさがして駆けまわるさなか、川べりに群生する、あるいは木陰にひっそり寄りあつまった植物の一角に、素材としてつかえるものを見とめる。アルセウスフォンで確認するまでもなく依頼人の顔と名前つきで、それを集めてほしいとたのまれていたことや、その素材でクラフトしてほしいとたのまれていた道具を思いだす。素通りする選択肢を瞬時に消し、わたしは手をのばす。
いくらシュウゾウさんに整頓術をおそわっても焼け石に水なのは、そんなことばかりくりかえしているせいだった。探索のたび、出発まえに限界まで空けておいたはずのポーチはまたたく間にいっぱいになるし、当然しょっちゅうベースキャンプに立ちより、荷物を整理しなければならない。
天冠の山麓周辺、とくに北東部へ出ているときはベースキャンプよりも隠れ里へ向かったほうがはやいので、ふらっとおじゃまさせてもらうことがあった。まさにいま、このときのように。
まあ、そんな建前と理屈に、コギトさんの顔を見たいという本音がすこしどころでなくまぎれこんでいるのは否定できない。できないのだけれど、さておき彼女が言っているのは、毎回文字どおり山のような大荷物といっしょに立ちよられて迷惑だ、という話でもないのだった。
クラフト台なんかはここを拠点としてつかわせてもらっていた時期のなごり、いわば好意の延長で設置してもらっているだけだ。仮にたびたびやってくるわたしを心底から迷惑だと感じたなら、このひとにはきっと、それをしりぞけるための手段がいくらでもある。つまりその手段がどれひとつとして実行されていない時点で、立ちよること自体は迷惑をかけていない、そう証明されているといえた。
いや、言いきれはしない、でもそうであってほしいのでむりやり言いきる。でないと、すこしかなしいから。
「おひとよしも、ほどほどにしておくのをすすめるぞ」
こういうわたしを見て。
ラベン博士はひとがいいからと言い、にがい笑みを浮かべる。コギトさんはときおりこうしておひとよしだと言い、一見してわからない程度にうっすら眉をひそめる。『ひとがいい』と『おひとよし』、似て非なるようでいてその実ふくむ意味はほとんどかわらないのだと、わたしはふたりから言われて、はじめて実感したように思う。
うーん、とあいまいな声を出して笑い、もつれて目にかかった前髪を指で流す。
「自分で必要なものもありますから。そのついでと思えば」
「自分で必要なもの。あたしには、はいっているように見えんのだけどなあ。その山とかばんのどこにも、ひとつも」
コギトさんはため息をついて、前髪からのぞくパーツだけでも実例として図鑑にのせたいくらいの、絵に描いたようなあきれ顔になった。
あきれがおポケモン。図鑑にのせた際のそれらしい架空の分類を内心でつぶやいたら、頭巾ごしのひたいを「だれがだ」と指でつつかれる。思わず目を白黒させる。
「なんでわたしの考えたこと、わかったんですか? びっくり」
「本気か? 口に出しとったぞ」
「……なーんだあ、そうでしたか。えへへ」
まるで以心伝心のあいだがらみたいだ。そう思ってどきりとしたぶん、よけいに照れくさい気持ちでいっぱいになって後頭部に手をやる。
コギトさんはふっと、こんどはため息とはちがうたぐいの吐息を落とし、おもしろがるようにしかたないというように、どちらにせよ今日はじめてほほえんだ。それからついとすべらせた視線で、わたしの肩のむこうをしめした。
「ほれ、はやく片づけなくては日が暮れてしまう。どこからはじめるかの」
「あ。じゃあさっそくですけど、今日もお願いします、この……」
素材整理における地理的な利便性、それのみを建前に隠れ里へ足をはこんだのはほぼ初回だけだ。いまではこうして手伝ってほしいからという部分が、理屈の大半を占めている。
必要なもの、ひとまとめにしたほうがいいもの、反対にどうがんばろうと処理しようがないから、その日はあきらめざるをえないもの。
コギトさんはそういうものを見きわめて整理整頓するのがじょうずなのだ、ただじょうずなのではなくて、ばつぐんにと修飾しても言いすぎにならないくらい。協力してもらうとおおげさでなく、わたしがあつめてつめこんでかかえて、ポケモンたちの力を借りに借りてどうにかこうにか運搬してきた混沌の山に、暗闇へ光が差すような秩序が生まれる。先も見えない濃霧のなかから、のぼりきるための道すじがあらわれる。
どこから手をつけたものか、途方にくれてうんうんうなっていたのを見かねたようすで山をのぞきこんだこのひとに、はじめてこういうことを手伝ってもらったときは、感動さえおぼえた。
これとこれをクラフトして、そうすればこれがこの素材になって、ここが空くのでそれをそこに——彼女はわたしにときおり依頼内容を訊ねるくらいのとぼしい情報から、流れるように助言を取りだしてみせて、気がつけば登頂に三日がかりかと思われた山は、お散歩気分で越えられるムラ近辺の丘にまでちぢんでいた。
たねもしかけもない手品、ほんとうに存在したんだ。
初見時、心のうちでつぶやくにとどめたそんな感想を思いかえすまでのあいだに、コギトさんはぽつぽつと二、三の助言をくれて、するりとクラフト台のそばをはなれた。彼女が口にするのはあくまでも『指示』でなく『助言』で、なおかつずっと横で見ていてくれるわけでもない。採りすぎた素材の山づくりをやめられないのなら、いっそすこしずつでもいいので彼女のようなやりかたをおぼえなさい、ということらしい。らしいというか、何回目だったか、そう言われた。
毎回かならずここに来られるわけではないのだし、もっともだといえる。迷惑なので自分でやりかたをおぼえて立ちよる回数を減らしなさい、ということではない。ないはずだ。
ムラのひとたちから依頼されるような道具をクラフトする際、レシピ片手に作業をおこなうことはもうほとんどない。依頼書のイメージを脳内にえがき、ほんのときどきは実際のリストで必要個数を確認する。あとはほぼ無意識に手がうごき、素材を取りあげ、クラフト台にセットする。そうしながら視線はつぎに、またそのつぎに取りあげるべき素材へとまっている。
だいぶおぼえて、なめらかに整理をすすめられるようになってきたと思う。もちろんまだまだコギトさんの足元にもおよばないし、仮にいつか完璧におぼえる日がきたら、ここをおとずれる理由に説得力がうすれてしまうので、成長を手ばなしにはよろこべない自分がいるけれど。
ふいに青色の実がひとつ、半分ほど切りくずされた山から所在なさげにころがりおちてきて、手を止める。傷薬をクラフトする依頼のために採ったオレンの実。組みあわせるクスリソウの残数が少々心もとない。薬として調合しない単独のクスリソウをほしがっていたひとが、たしかふたりいたはずだ。傷薬一件とクスリソウ二件、それぞれ依頼を受けた時期もほぼおなじで、優先順位をつけにくい。コギトさんならこういう場合、どうするだろう——
「なんじゃ、かたまって。どうした?」
胸中で思いうかべたのが聞こえたようなタイミングでクラフト台へもどってきたコギトさんは、言いながら身をかがめて、わたしの手元をのぞきこんだ。わたしの目とそれの向いたオレンの実とのあいだで顔をいち往復させると、背すじをもどして「ふむ」とつぶやく。
「そこの実とほかの素材を合わせてなにかをつくりたいが、肝心のもうひとつの素材が足りない。あるいは実と合わせてつかうぶんにはことたりるが、そうしてしまえばほかの依頼が立ちゆかなくなる。と、いったところか」
「わお、完璧にそのとおりです! やっぱりコギトさん、わたしの考えてること、読めるみたい」
「そういうことにしておこうかの。……たとえ心を読めなくても、ショウ。そなたはたいていおなじところでつまづいとるので、そこを基準にひもとけば、すぐにわかる」
「おなじところ、ですか? どういう……」
コギトさんは質問にこたえず、反対に「なにをつくりたい?」と問いをかえした。
「クスリソウと組みあわせて、傷薬を。だけど薬にしない、素のままのクスリソウをほしいという依頼も二件あって」
「なるほど。それでどれを優先したものか、決められない」
「はい。コギトさんならどうしますか」
「そうさなあ。クスリソウは言うまでもなく、その実のなっておる木もそこらじゅうで見かける。ふたつの材料でつくりたい傷薬というのも、さほど込みいった、高級なものではなかろう?」
「そうですね。ちょっとしたすり傷なんかにつかってあげるような。ポケモンにつかう薬のなかでは、たぶんいちばんかんたんなものだと思います」
まげた指のふしをそえたコギトさんの唇から、「大は小を兼ねる」とこぼれる。言葉の意味はわかっても指すところをつかみあぐねて、首をかしげる。
「どうせそれも山のなかに埋まっておるのだろうし、べつの材料をつかう、もっとよい薬をつくってかわりに納品してしまえ。……と言いたいのはやまやまだが、さすがに仕事としては乱暴すぎような。はて、八方ふさがりになってしまった。どうすべきか」
ふくみのある視線がわたしへ向く。二秒間黙って目を合わせてから、ひらめくままに「あ」と声を出した。
「……今日のところは傷薬、あきらめます。オレンは、ああこれ、オレンの実っていうんです。あげるとよろこぶポケモンがたくさんいるので、帰りがけ、そういう子たちに食べてもらおうかな」
「そうするといい。それだけ材料の手にはいりやすい、効果もかんたんな薬だというのなら、ムラの雑貨屋でも取りあつかっておるのだろう」
「はい。ちょっぴり割高ですけど、お急ぎだったらギンガ団の納品を待つよりお店へ行ったほうが、はやいし確実。……ですよね?」
上目でそわそわとコギトさんをうかがい、こたえあわせをもとめる。彼女は「えらいえらい」とうなずいてほほえむと、おどろいたことにそのまま手をのばし、頭巾ごしにわたしの頭頂部を撫でた。
正解を褒めてくれた口ぶりまでふくめて、ちいさな子どもにあたえるようなそれでしかない。わかっている。わかっているのだけれど、だからといって感情や行動を制御できるのなら、わたしはたぶん、とっくのむかしに素材の山づくりをやめられている。
ゆるむ頬をどうにか引きしめようとして、数秒のうちに何度も失敗して。そうして一瞬の接触なのだからなにも残っているはずのない場所に指をそえ、体温を溶かす。そうしながらふと、まだこたえの出ていない問いかけがあったのを思いだす。
「……わたしがつまずいてるのって」
「ん」
「どれもこれもやろうとしすぎ、っていうことですか?」
「まちがってはいない。が、おおざっぱにすぎるな。それをつまずくというのなら、ショウは最初から最後までつねにつまずいとる、むしろずっと地面に倒れふせとることになるし、そんな相手には、あたしも手を貸しようがない」
淡々とした、しかし直前とは打ってかわって容赦なく辛辣なものいい、なおかつぐうの音も出ない正論、ふたたび。手をおろしてうめいた顔があんまり悲惨な表情だったのか、「まちがってはいないのだがなあ」と苦笑される。
「捨ててもよいところ、というとやはり乱暴すぎるだろうが、あとまわしにしてもよいものというのはある。ちょうどいましがたの、傷薬の依頼のようにな」
「わたしはその区別をつけるのが、うまくないんですね」
「ああ、それどころかこれ以上なくへたじゃな」
「うっ」
「依頼にかぎらず、ショウ。ひとつ手にしたならひとつ手ばなす、それを意識しなければ。腕は二本しかないし、その二本で持っておける量なぞたかが知れているのは、身にしみてわかっておるじゃろ。ふえてゆく一方なら、いつか破綻するときがかならずくる」
「……ひとつ手にしたなら、ひとつ手ばなす」
ひとがいいと言われたり、おひとよしだと言われたりしながら素材の山をかかえてここに来る、そんなわたしに——目のまえにいるいまのわたしに向かって、説いている。
そうわかって、だけどわたしがコギトさんの言葉をくりかえして考えていたのは、彼女自身のこと、そして彼女にはじめて整理を手伝ってもらった日のことだった。
あの日。助言どおりに手をうごかすだけであざやかに片づいてゆく山を見て、たねもしかけもない手品みたいだと感じたのを、口には出さなかった。なにか考えがあってそうしたのではなく、おおかた話題が移ったかなにかで、機会をなくしたんだろう。でもいまは、言わなくてよかったと思う。
ティーセット、テーブル、椅子。この隠れ里には、コギトさんの庵にはものがすくない。たいていのものがひとつきりしかない。あたらしいものをと言われて渡したまな板は、結局まな板ではなかったものといれかわった。ムラではあたらしい服に興味をしめして、実際シャロンさんのお店へも出いりして仕立ててもらっていたようなのに、衣類掛けの服の数がふえることはなかった。
手品だとか才能だとか、そんなものではないんだろう。隠れ里と庵へ降りつもった年月に、かたちづくられたんだろう。腕は二本しかなく、持っていられる量もたかが知れており、ずっと持っておくことなどできない。だからひとつ手にしたならひとつ手ばなすのだという、ばつぐんに整理じょうずなこのひとは。
良し悪しを判断する権利も根拠もないから言えなくて、ただそこへ立ちいれないのをさみしいとだけ思って、それもまた言えないでいたら、コギトさんがふいに表情をゆるめる。
「……さて。まじめな顔でまじめな話ばかりしていて、肩がこってしまった。ひとやすみしなくては。ショウ、これだけ手伝ったのだから、一服くらい付きあってもらわなければ割に合わんぞ」
「え、いいんですか。わあいぜひ、ごちそうになります!」
「ごちそうというか、いつもの茶だがのう」
流した目線で背後をうながされる。そこにはテーブルと椅子と、たぶんそのためにそばをはなれたコギトさんの用意してくれた、湯気をたてるティーセットがある。
それぞれ、最初のうちはひとつしかなかった。いつの間にかもとからあるものとはふぞろいな椅子とティーカップが、ひとつずつふえていた。目のまえでずっと立っていられるのも気をつかうからてきとうに用だててきた、とコギトさんは言った。ありがとうございますとお礼をのべながら、それじゃあますます遊びにきてもいいですかと訊いたわたしのまえのめりぶりに、彼女はあきれたように笑って、それでも来るなとは言わなかった。
そんなことを思いだしながら、直前の会話を振りかえる。ひとつ手にしたならひとつ手ばなす、そうやって暮らしてきたひとがものをふやす、その意味を考えようとしてやめる。
判断する根拠もない。くわえて、このままふかく考えていたらまたおぼえず口に出してしまいそうで、そのときコギトさんはきっとさっきのようにひたいをつついてはくれない気がして、それはすこしどころでなくかなしくて、さみしいから。
うれしいと、その言葉でみたされる胸のうちに、いまはひとまずながめのまばたきで、ふたをする。
「いつものお茶、好きです」
そう言って立ちあがったいきおいのせいか、背後の山からまたなにかのころがりおちる音がした。そんなに急がなくても逃げんぞ、とコギトさんが笑った。