すべてきみのせい

 そうしようと思ったことに、語って聞かせられるほどの理由やきっかけなんてない。ふたりそろった休日の昼さがり、テレビをつけたままにしながら、なにを話すでもなくリビングのソファにならんで座っていた。しいていうなら、あたしは何年か前に流行ったドラマの再放送の、知りつくした展開にうすうす飽きはじめていた。それくらいのものだ。
 ただきっかけがなんであれ、画面をぼうっと流しみている頬へじゃれつくように唇でふれたら、あたしと同じくたいして熱中していたわけでもないだろうに、驚いたような表情で一瞥をくれたきりテレビへ視線を戻されて、おもしろくないと感じてしまったのだけはたしかだった。
 今度はすこし場所をずらしてふれてみるが、もはや驚きもなくなったのか、ヒカリはくすぐったそうに首をかしげただけで、こちらを見ることさえしない。
 こうなってくると、是が非でも反応させたくなる。頬ではなく側頭部に顔を近づけ、髪のすきまからのぞく耳のふちを食むと、恋人は頭を引いて、やっとあたしのほうへ体を向けた。
「もう、なんですか」
 耳をおさえてくすくす笑う声からも顔からも、あからさまに気がぬけているというか、油断しているのが伝わってしまって、たぶんそれがよくなかったのだろう。
 あたしもつられるように笑いながらヒカリの肩に手をまわし、耳を隠すようにゆるく握りこまれた指の関節へ、前髪ごしのひたいへ、目じりへ、次々と唇でふれていく。
 場所をかえて点々とつづく口づけが白い喉をとおりすぎ、シャツの襟からのぞく鎖骨へたどりつくころになって、彼女はようやくなにかがおかしいと気づいたようだった。あたしの肩を軽く押しかえし、わずかに目をおよがせる。
 それでもまだ困惑のほうがおおきいのか、なにも言われないのをいいことに、ひらいた距離をもう一度つめた。スカートの腰元から上衣の裾を引きだし、できたすきまから手のひらをすべりこませる。背骨にふれてなぞろうとしたところで、手首をあわてたような性急さでつかまれる。
「……シロナさん?」
「なあに」
「あの、ええと」
 ヒカリはドラマのせりふにかきけされそうなほど声をひそめて、昼間ですよ、とつづけた。
 今が昼さがりだというのは、わかりきっている。それがいったいなんだというのだろう? 一瞬当惑するが、すぐに彼女の言わんとするところを察した。
 つまり彼女は、自分の背中をなぞりかけた手がさらに進む先は、日がしずみきった夜、カーテンを引いた寝室の、ベッドのうえだけでの話だと思っているのだ。すくなくともこんな時間のこんな場所でおこなわれるものではない、と考えている。今までずっと、あたしがそうしてきたから。
 ため息のように笑ってみせる。そうすると、じゃれあい程度でとどめておけたところからもうあともどりのできない位置まで、一足とびに気分が切りかわるのを自覚した。正気ですか、とでも言いたげな顔をしている恋人に、あたしはいたって正気なのだと教えてやりたくなる。なんとなくそうしていただけで、きみがそこにいるのなら、べつに昼でも夜でも関係ないのだということを。
 それだけでヒカリにも、あたしがなにを考えたのかはおおよそ伝わったらしい。さっと表情をかえてあたしの手をはなし、腰を浮かせて立ちあがろうとしたのをすかさず引きもどす。その拍子に体勢をくずし、背もたれへ手をついて倒れこんだ体を、そのまま背後から肩をおさえてソファへ縫いとめた。
 片ひざをソファにのせて自分の体でも彼女をかこいこみ、耳元へ顔をよせて、ひとつ息を吹きかけてから訊ねる。
「昼間だったら、なに」
「なにって、だって、や」
「明るいのがだめ? 顔はこっちからは見えないし、だいじょうぶでしょう?」
「ちが、そうじゃ、あっ……」
 なにかを否定しようとする言葉の途中、耳のラインを舌でなぞると、先ほどのうすい反応がうそのような高い声があがった。
 耳をねぶる合間に、唇で髪をかきわけて首すじをひやかしながら、ふたたび手をさしこんで衣服をくつろげにかかる。とはいえすでに裾はスカートから引きだされているし、ヒカリの腕は彼女の体のしたにあって動かしようのない状態なので、あたしの手のひらはほとんどなんの労力もつかわないまま、背中にういた肩甲骨の付け根までたどりつく。
 ヒカリがわずかに肩をはねさせるのにはかまわず、胸元をいましめる下着のホックを指先ではずしてしまうと、彼女はソファに押しつけられた上体をおこそうとするそぶりを見せた。これからなにをされるのかわかって、せめてなにかしらの抵抗をしようとしたのかもしれない。けれどその動きは、体の前へ手をさしいれられるすきを生んだだけだった。
 うすい皮膚ごしにすぐ骨が手にあたるきゃしゃな体のなか、一点に吹きよせられて集まったようなやわらかさが指にふれる。丸みのした半分をゆるくなでると、あたりの肌がおびえにか無意識の期待にか、こまかく粟だつのがわかった。
「シロナ、さん」
「うん」
「ほんとうに、ここで」
「うん」
 いつになくぞんざいな肯定をくりかえしながら、もう片方の腕をヒカリの肩の前にまわす。抱きこんだ前腕にすがりつくように指がからんできて、彼女がそのままこちらを振りかえった。かすかに紅潮した顔に、寄る辺なく困惑した表情がのっている。
 いつものくせで、つい唇へキスを落としそうになるのをこらえ、軌道をかえてうなじを甘噛みした。
「っ……なんで、いや、いやです、ここ」
「どこならいいの」
 訊くだけ訊いてみる。しかしなにを言われてもここから動く気はないのだと伝わらせるため、答えを待たず、服のなかにいれた手を動かしはじめた。かすめるように体の線をなぞり、背骨や腰骨のくぼみのうえで円をえがく。胸のふくらみをやわらかくにぎりこんで、指のはらで思いだしたようにその先端を引っかき、芯をもってきたものをつまんではじく。
 しだいにあがっていく呼吸と、ときおりこらえきれずにこぼれる嬌声のすきまから、ヒカリが「やめて」とか「ベッドにいきたい」とかいうようなことをきれぎれにささやいた。あたしの腕にしがみついたまま背もたれに押しつけた顔の横、もうすっかり赤くそまった耳へ近づいて、あとでね、と吹きこむ。
「もうすこしだけ、がんばって」
 なんて勝手な言い分だろうか。
 自分でもそう感じたくらいなのだから、ヒカリにとってはなおさらだろうと思ったが、見るかぎりもうそんなことを思う余裕もなさそうだ。小きざみにふるえる背中を見つめながら、せめてもうすこしと言ったことくらいは真実にすべきかと考え、上衣のなかから抜いた手をスカートの裾へのばす。さしいれた五本の指先でふとももをなぞりあげていくと、ヒカリがひときわおおきく体をふるわせ、ほそい息をもらした。
 あまり時間をかけず、かといって急ぐというほどでもない早さで、足の付け根まで到達する。そのあたりが、すでにふれなくてもそれとわかるほど熱をもっているのを知って、思わず「あつい」という声がこぼれた。
「な、にが、ですか」
「言ってもいい?」
「あ、やっ」
 布地のうえから鼠径部をたどり、ひときわ熱をもつあたりをそっとなでた。なんの力もこもっていないその動きに、それでもヒカリのももがびくりと反応して、おそらく反射のようなものだろう、足をとじてしまおうとするので、ひざを彼女の足のあいだへ割りこませてすきまを確保する。
 下着と肌のあいだへはいりこませた指を、物理的な重さまでもつようなじっとりとした温度がむかえた。なだらかな曲線のその奥、より深いところまで手を進め、入り口をしたからうえへとなぞってもどる。それだけでかすかにぬれた音が鳴り、指先が水気をおびた。
 まとった水気をこすりつけるように、熱の中心に指をあてる。はじめは表面にふれるだけ、次にやわいものをこねるように。それからだんだん動きを早め、押しつぶしてこすりつけるように、すこしずつ力をいれていく。
 背中が反ったせいで目の前に近づいたうなじが、耳と同じように真っ赤になっていた。赤くなっているのをここまではっきり見るのははじめてだ、という事実に今さら気がつく。彼女がどうかはともかく、明るいうちにこうすることの楽しみを、あたしはひとつ見いだした。
 そうとも知らず、指から逃げようとして引いているらしい腰が、あたしの腰にぐいぐいと押しつけられる。よけいに逃げ場がなくなっているように思うけれど、きっと腰を引いているのも押しつけてきているのも、どちらも無意識なのだろう。
「ねえ、逃げたいの、逃げたくないの、どっち」
「……ん……ふ、あっ……」
 聞こえているのだかいないのだか、ただあたしのひざをはさむ足と腕にしがみつく指に力がはいり、もれる声が一段と高くなった。どうやら区切りが近づいてきているらしい。
 そのさなか、ふとヒカリがこちらを振りかえった。顔の角度をわずかにななめうえ、あたしの顔のほうに向けて、声がこぼれるのにもかまわず、泣きそうな表情で唇をうすくひらいている。
 どうしても習慣的に落としかけるキスをこらえ、行き場をうしなった唇で耳たぶを食む。同時に指の動きを、骨のかたさを感じるほど力をこめたものへとかえると、やがて悲鳴じみた甘い声があがって、ももの内側が何度かおおきくふるえた。
 目の前の体をささえていた力がぬけて、背もたれにそってずるずるとくずれおちていく。今しがたまで彼女がしがみついていた腕で頭を受けとめて、ひじおきにそっと横たえた。
 べつにそんなこともないのだが、ずいぶんひさしぶりに正面から見すえる気がする顔のなか、浅く短い呼吸をくりかえす唇へかみつく。口内の酸素ごと奪うように舌をからめてから顔をはなすと、かぼそい声が「ひどい」とあたしをなじった。
「なにが? 明るいのがいやみたいだったから、顔を見られたくないのかと思って、ほとんど見なかったじゃない」
 あまりにも心あたりが多すぎるのでなんだかおかしくなってきてしまい、底意地の悪い答えかたをする声が笑いをふくむ。
 求められているのはわかっていながら、今の今まで唇へキスをしなかったこと。こんな場所で、あたりが明るい時間に、ほとんど最後までおよんだこと。あるいはそのどれも。
 でもしかたがない。いやだと言ってもやめてと言っても拒みきれないでぐずぐずにされていき、結局最後に弱々しくうらみごとを言うくらいしかできない彼女が、ひどくかわいそうで、かわいい。それが悪いのだ。
「まだ、ベッドにいきたい?」
 意地が悪いついでにもうひとつ、乱れた髪を耳のうしろにかけてやりながら訊ねる。
 ヒカリはいまだととのわない息に肩を上下させながら、ぼんやりした顔であたしの目を見ていたが、やがてかたわらに腕をのばして、ローテーブルにおかれたリモコンを手にとった。
 もうすっかり意識の外にあったドラマは、次回の展開へつなげるためにストーリーをむすびはじめていた。見たような見ていないような登場人物があらわれ、ヒロインの驚いた表情が大写しになる。そこで画面がぶつんと暗くなる。
 役目をおえたリモコンをほとんど捨てるようにテーブルへおいたヒカリが、あたしの首へ手をまわしてきた。そのまま引きよせられて、すこし頭を浮かせた彼女から、唇にふれるだけのキスを受ける。
「……わかってるくせに。やっぱり、ひどい」
 ごめんね、と謝る自分の声がすこしも悪びれていないことに、今度ははっきりと笑ってから、ヒカリの足をなぞる。わずかにゆれたひざのうらにぬれた手をさしこむと、彼女がそこにかいた汗とまざりあって、水気の正体があいまいになる。
 シャツのボタンを片手ではずしていきながら、ヒカリの無言の催促にこたえて口づけのつづきを降らせた。
 思うぞんぶん唇をなめ、舌を吸いあげる合間に、どこからかひびいてくる自分の声を聞く。
 ひどいのもなにもかも、やっぱりきみのせいだ。