女の子は好奇心でできている
その日は珍しい日だった。
まずジムリーダーのうちあたしを含めた四人は女性で、チャンピオンも女性だし、バトル・エリアの出入り許可をもつ腕利きの女性だって数多い。つまりシンオウ地方の女性トレーナー人口は多いといっていい。にもかかわらず、しょうぶどころに女性だけが揃うことは、示しあわせでもしなければめったにない。なにが珍しいかって、その『めったにない』状況が起こりつつあったのだ。
あたしが昼下がりにふらりとしょうぶどころを訪れると、真ん中の席でメリッサさんとスズナちゃんが談笑していた。あたしに気づいたスズナちゃんが、
「スモモちゃんも来るよ。遅れてだけど。女子がみーんな揃うね」
と言ってにかりとした。これはしめたぞと思い、同じテーブルについてアイスティーを頼んだ。すると注文がくるのとほぼ同時に入り口が開いて、ヒカリちゃんがあらわれた。彼女はあたしたちに頭を下げて「今日は華やかですね」とおっとり笑い、
「シロナさんと待ち合わせなんです。合流するまでご一緒していいですか?」
そう続けた。
このふたりはそこらのお友達では及ばないほど仲がよく、おまけにシロナさんときたら、そこらのお母さんでは及ばないほどヒカリちゃんに甘くて過保護だ。そんな彼女がヒカリちゃんを待ちぼうけさせるようなことはありえないから、バトルするほどの時間はあるまい、と全員が試合の申し込みを自粛した。
――と、こうして店内には女の子ばかりが揃うことになり、女の子しかいない日に限ってご主人がサービスでふるまってくれるケーキが、あたしたちのもとにやってくることになった。それを見越してアイスティーを頼んだあたしは、ベリータルトと紅茶の組み合わせに、久しぶりに舌鼓をうつことができたというわけだ。
腰を落ちつけて世間話に興じていると、話題は恋愛のことになっていた。どういう流れでそんな話になったのかといわれても、気づいたらなんとなくとしか答えようがないのだけれど。ガールズ・トークなんてそんなもので、理屈とか理由はたいして重要ではないのだ。
メリッサさんが陽気な声を出す。
「わたしは、そうですネ、いろいろありましたケド、今はポケモンとダンスに、恋をしています!」
陽気といっても彼女はほとんどすべての立ちふるまいが陽気なので、あらためてそう表現する必要はなかったかもしれない。いつもどおりの朗らかさに、みんな自然と笑顔になる。
「わーッ、メリッサさんすてきー! 酸いも甘いも知りつくしてるって感じ!」
「酸イモ? 甘イモ?」
「それじゃいろんな味のお芋になっちゃいますよメリッサさん。酸いも甘いもっていうのは、楽しいことも苦しいこともって意味です」
スズナちゃんが夢みるようにうっとりとした表情を浮かべるかたわら、メリッサさんに言葉の意味を教授する。ふむふむと真剣な顔で聞きいるメリッサさんを見ていると、教職の楽しみも分かろうというもので。
「ちなみにお堅くいうと、酸いも甘いも噛みわける、という使い方をします。両方食べて知りつくしてるってことですね」
「はいはーい、スズナもひとつ賢くなりましたッ!」
「それは大変よろしい」
真面目くさった顔と声で言うと、スズナちゃんがぶはっと吹きだした。たしかにいつもこういうのはしっかりしているスモモちゃんの役目だけれど、あたしだってたまには年長者らしくお姉さん風を吹かせても許されるはずだ。まったく失礼千万である。
でもよく考えたら、一番年下のスモモちゃんがいないときしか年上の本領を発揮できないのって、それってどうなんだろうか。
「なんだかスモモさんみたいですねえ」
どことなく複雑な胸中を察したかのようなタイミングで、話題を静観していたヒカリちゃんの穏やかな声がした。
そういえば彼女は、ジムリーダーのなかで一番年下なスモモちゃんよりもさらにもうひとつ年下なのだ。スモモちゃんといいこの子といい年ゆえの幼さとは縁遠く思えるほどしっかりしているから、あらためて年齢を確認するたびに驚いてしまう。
「あーそれそれ、スズナも思ったー! っていうか、ナタネさんが賢いこと言ってるとちょっとキャラ違うよね!」
比べてスズナちゃんのさらりと、でもめちゃくちゃ失礼なことといったら! あたしはヒカリちゃんに向かって、大げさに肩を落として泣きついてみせた。
「ヒカリちゃあん、スズナちゃんがひどいよー」
「だってホントのことだもーん」
「あらら」
ヒカリちゃんは苦笑しながら「そんなことないのに」と細い指であたしの頭を撫でてくれる。きれいに整って大人びた容姿をしている彼女だけれど、体温は子どもらしくあたたかい。
「あれ。そういえば、ヒカリちゃんはどうなの? なにかないの?」
あんまり心地よくて撫でられるのにまかせていると、スズナちゃんがその年頃の女の子らしい迅速さで、さっきまでの話題を切りすてた。とはいえ主語がないので、いきなり話をふられたヒカリちゃんはこてんと首をかしげる。
「なにか、というと」
「甘イモですネ?」
「そーそー、甘イモだよお。恋愛の話とか、ないの? スズナ、気になりますッ」
メリッサさんとスズナちゃんが不穏なアイコンタクトをかわしながらヒカリちゃんに迫ると、あたしの髪からほんのりしたあたたかさが離れていった。
ナタネも気になるー、とのんきな気分で尋問に加わろうとしたあたしは思わず押しだまる。喉の奥で声がつぶれるのがわかった。
ヒカリちゃんが笑っている。常の彼女らしく控えめなほほえみではあったけれど、それでも抑えきれなかった嬉しさが表情のふちからこぼれ落ちたような、面映ゆい笑顔だった。
スズナちゃんがその表情の機微を見逃すはずもない。
「あるのね? あるんだねッ? 聞きたい、すっごく聞きたいです! どんなひとなの?」
メリッサさんが「左に同じデス!」となぜか自信満々な顔で合いの手を入れる。右にですよとそれを訂正しながら、あたし自身も目の前のヒカリちゃんに好奇心があふれるのを止められずにいた。
だってヒカリちゃんは真面目で大人びていてがんばり屋さんで、バトルとくればあのデンジさんをしびれさせ、ついにはシンオウリーグ殿堂入りを果たしてしまったくらいの腕前の、ストイックを体現したような子なのだ。そんな子が恋の話に顔をゆるめていて、気にならないほうがうそに決まっている。
あたしたちが揃って身を乗りだすと、ヒカリちゃんはそこではじめてほんのり顔を赤くし、困ったように眉尻をさげて苦笑しながら「あのう、あまりおもしろい話ではないと思いますよ」と前置きした。
まったくもうこの子は。あんなにかわいい顔を見せておいて、今さらなにを言うんだろう。女の子は好奇心でできている。ヒカリちゃんにあんな表情をさせる相手の話が、あたしたちにとっておもしろくないわけがない。
ヒカリちゃんはまだ赤い顔のまま、それでもはっきりした声で口にした。
「年上のひとなんです」
わお、と声をもらしたのはメリッサさん、じゃあなくスズナちゃんだ。でもスズナちゃんが声を出さなければメリッサさんが本場仕込みの「ワーオ」を口にしただろうし、メリッサさんも何も言わなければあたしが声をあげただろう。しょうぶどころの一角がにわかに色めきだった。
好きなひとは年上。
なんでもないその情報も、ヒカリちゃんの小さなくちびるから紡がれると、森の奥でひっそりと隠され守られている泉のような美しい秘密に聞こえてくる。
しかし彼女からみて年上のひとなんてたくさんいると思うのに、どうしてか真っ先に思いうかんだ顔はデンジさんだった。あのムダに顔のいいバトルマニアときたら、ジム戦で鮮烈に目を覚まさせられてからこっち、雛鳥の刷り込みみたいにヒカリちゃんにバトルを申し込み続けている。その様子は恋や愛の片鱗を感じさせなくもないほどだ。彼本人は純粋に質のいいバトルを楽しみたいだけだと言っていたし、ヒカリちゃんはそれさえもうまいことあしらっているようだったけれど、ムダに顔がいいだけもしかしたらもしかするということもありうるのかもしれない。
同じことを考えたらしいスズナちゃんが、急に不安げな表情になり、声をひそめた。
「あの、ヒカリちゃん。まさかとは思うんだけど、それってデンジさんじゃあ、ないよね」
「デンジさん?」
ヒカリちゃんはきょとんと目を丸くした。
「ええと、デンジさんではないですね、はい。というか、どうしてデンジさんの名前が出てくるんでしょうか」
「んーん、なんとなくね! 違うならいいの、気にしないで!」
スズナちゃんがあわててごまかすかたわら、あたしも内心ほっと胸を撫でおろす。別にデンジさんのことを嫌いなわけでもなんでもないのだけれど、ヒカリちゃんみたいないい子には円満な形で幸せになってほしいのだ。その目標を目指すにあたって、デンジさんみたいに女の子を泣かせてばかりいるようなひとが、適切とはいいがたい。
「それでそれで、デンジさんなんかのことより、その年上のひととどうなの? うまくいきそうなの?」
デンジさんなんかとは、ひどい言われよう。あたしは自分のことを棚にあげて彼を哀れに思った。スズナちゃんにかかるとナギサのスターもかたなしだ。
質問されたヒカリちゃんはくちびるの下に指を当て、考えこむようなしぐさを見せた。デンジさんの名前が出てきたのがよっぽど意外だったのか、初々しい顔の赤さは吹きとんでしまっている。悪いあたしは、恥ずかしいのがどこか行っちゃったならいろいろ聞きだせそう、と心中でほくそ笑む。
そんなこととはつゆ知らず、彼女は口を開き、
「うまくいきました」
とだけ言った。
「馬食い行きました、デスカ?」
「馬刺しデートってこと? やっだなにそれ超ニッチなんだけどー」
「もう、二人ともやだなあ。そんなわけないじゃない。うまいこといったってことでしょ。うまく……」
うん?
自分で言ったことへの理解が遅れて追いついてきて、こんどはあたしがきょとんとする番だった。うまくいった、ということはつまり。
「馬刺しは食べたことがありません。どんな味がするんでしょう? ――すこし前ですけど、片づけなくてはいけないことがぜんぶ終わったので、そのひとに好きだと伝えたのです。それでその、いろいろあって……うまくいきました」
店内が水を打ったように静まりかえった。なぜかカウンターのご主人まで固唾をのんでこちらを見守っている。
しばしおいて「えええッ」というスズナちゃんの裏がえった絶叫が沈黙を破った。
*
からんころん。
ドアベルを鳴らして入ってきたスモモちゃんが、スズナちゃんに肩をがくがく揺さぶられているヒカリちゃんを見てぎょっとした顔をする。
「す、スズナさん! 場外乱闘はよくありません!」
「違うと思うけど」
落ちついた声が応える。見れば小柄な肩のうしろに、表で鉢合わせでもしたのだろう、呆れ顔のシロナさんが続いていた。あたしはチャンピオンに向けてかるく会釈をした。
「ハーイ、スモモ、シロナ! お元気デスカ?」
「ハーイメリッサ、ごきげんよう。久しぶり。ナタネにスズナも元気? ……スズナは見るからに元気みたいね」
「ちょっとシロナさん、ヒカリちゃんがね、なかなか口を割らないの! まだナイショですって!」
「いったいどういう状況なんですかぁ、ナタネさぁん」
おろおろしすぎたスモモちゃんの声が泣きだしそうに震える。しかしどういう状況、を説明するにはヒカリちゃんのプライバシーに触れなくてはいけない。答えあぐねていたら、メリッサさんがあっさり「チジョウのもつれデス」と言いはなった。間違っているようないないような……いや、やっぱり間違っている。
「も、もつれて、ましぇん」
「ああ、そういう話。そうね、もつれてないわよ」
「んッ? なにか知ってるの? ヒカリちゃんのコレのこと」
コレ、のところで親指をぐっと立て、スズナちゃんが目を輝かせる。シロナさんは揺さぶりから解放されて目を回すヒカリちゃんを一瞥して、不敵に笑った。
ふたりは仲がいいからシロナさんなら知っているかも、そう思ってはいたものの、いまの表情でその推測が確信に変わった。
「知ってる。よーくね」
「なになに、超気になるんですけど! そもそもスズナたちも知ってるひと?」
「うーん、そのうちわかるんじゃない? ヒカリちゃんが言わないなら、あたしから言うわけにもねえ」
腕を組んでうそぶくシロナさんは、さっきのあたしよりよっぽど悪い大人の顔をしている。
年上でなおかつデンジさんではなくて、いろいろあって、シロナさんがよーく知っていて、そのうちわかる相手。ごまかされたけれど、きっとあたしたちも知っているひとなんだろう。こんなにヒントがあれば思いあたる顔がひとつくらいあってもいい気がするけれど、そもそもシロナさんよりもヒカリちゃんと一緒にいる人間がいないのだ。
「もー、ふたりしてナイショっていうわけー? ――うわッ」
うわずった悲鳴になにごとかと顔を動かすと、いつのまにかテーブルまで回りこんできていたスモモちゃんが、スズナちゃんの手を引いて隅っこの席まで連行していくところだった。
どうやらスモモちゃんは状況を把握したらしい。スズナが、好きなひとのことを聞きだそうとヒカリちゃんの肩を揺さぶる暴挙に出ていたことも。あの子はふだん腰が低いだけ怒ると怖いから、スズナちゃんはこってり絞られることだろう。
「ヒカリちゃん、次会うときは絶対に聞きだしてみせるんだからね! 覚悟なさいッ」
「スズナさんっ」
「あ、あのね、スモモちゃん、これは誤解で……」
悪役の負けおしみみたいな言葉を残して、スズナちゃんの声がフェードアウトしていく。
ふたりを目で追って小さく肩をすくめたシロナさんは「そろそろヒカリちゃんを連れていってもいい?」とつぶやいた。そういえばもともと待ち合わせのためにここに来たのだと言っていたっけ。
そのままテーブルまで距離をつめると、それが当然のようにヒカリちゃんに手を差しだした。ヒカリちゃんも自然なしぐさでてのひらを重ねて立ちあがるものだから、あたしはあきれるほかない。
なんかもう、こういう光景を眼前に見せつけられると、ヒカリちゃんの相手がいっそシロナさんだとしても、そんなに驚きはない気がするのだ。
「……なーんてね、まさかねー」
「ナタネ、なにか言いましたカ?」
「いーえ、なにも。シロナさん、ヒカリちゃん、またねー」
「はい、また。スズナさんとスモモさんにもよろしくお伝えください」
「それじゃあね。またそのうち、会議ででも会いましょう」
スズナちゃんみたいに力ずくの行動に及びはしなくとも、あたしだって結局のところヒカリちゃんの相手が誰なのか、けっこう気になってはいた。でも約束があるのを無理やり引きとめるわけにもいかないから、しかたなくふたりに向けて手をふる。
ヒカリちゃんはやってきたときと同じようにみんなに向かって礼儀ただしく頭をさげると、シロナさんと手をつないで外に出て行った。
まったく仲のよろしいことで。あれじゃあ他のだれかがふたりの間に割って入る余地なんて、すこしもないように思える。
あたしはため息をついてから、『痴情のもつれ』のただしい意味を教えるために、メリッサさんのほうに向きなおった。