ネバーエンド
自分の席が空いていない、どころか通路までひとで埋まっているのをいぶかしんで、ここが自由席の車両だと思いいたった。仕事で見おくりに行けないのを心配した母から重々言いふくめられていたのに。乗りおくれないようにすることばかりに気をとられて、どうやらやってしまったらしい。
愕然とかたまっているうちに、ホームでつぎのリニアを待つひとびとに向けて、安全のため白線のうちがわへさがるようにというアナウンスが流れだす。一度降りて乗りなおすだけの時間はたぶんもう、ない。
ピークをはずれているとはいえ帰省シーズンであるのにかわりはなく、指定席の予約だって、数か月まえからのキャンセル待ちでやっとひと席を取れたくらいだった。それだからごったがえす乗客とおおきな荷物、迷惑そうな視線のあいだを抜けて車両を出るのも、まったくかんたんにはゆかない。私がどうにか指定席車両のデッキへたどりついたちょうどそのとき、たからかな発車メロディに背を押されて、リニアはヤマブキのホームをはなれた。
すみません、ちょっと、ごめんなさい、とおります。
そんな言葉を言いくたびれてへとへとになっていたので、ふつうなら気にせず立っていられる程度の車体のゆれにも、つい足元がぐらついた。キャリーバッグに手をついて体勢をくずすのをこらえ、まずは吐きだす寸前だったため息を飲みこんだ。
目のうえまでさがっていた、お気にいりのキャップをかぶりなおす。車両をわたる間にすっかりしぼんでしまったひとり旅への期待を、そのしぐさでやっとふるいおこすと、首からさげたポケッチの液晶にリニアの電子チケットを表示させた。
戸袋へ引きこまれる自動ドアのよこに掲示された座席表をたしかめて、通路を進む。二十、十九、十八。番号は進行方向へ向かって、ひとつずつちいさくなっていく。降順というのだったか昇順というのだったか、学校でならった言葉を思いだそうとしているうちに、予約した列の番号プレートを見つけた。位置をしめす文字は進行方向の左手から順にA、B、C、D。私の座席番号にはCとある。Dの席には端整な横顔の女性客が座って、窓ぎわのちいさなテーブルに頬づえをついていた。
となりあう席の客が発車後に乗りこんでくるとは、それも子どもだとは思わなかったんだろう。通路がわを一瞥して手のひらから頬を浮かせた女性は、持ちあげた視線を私のひたいのあたりへとめて、すずしげな切れ長の目をわずかに見ひらいた。
キャップの位置はなおしたけれど、へんなかたちにへこんでいるんだろうか。あんまりながく一点を見つめられるので心配になって手をやると、彼女は自分の凝視にはじめて気がついたらしく何度かまばたきをして、それからおぼえずそうしていたことに、いくぶん照れたようすでほほえんだ。
その笑顔が、なんというか。するどくととのった、ともすればつめたそうにも見える面ざしから予想されるよりだいぶやわらかな、子どもっぽいといっていい無邪気な表情だったせいもあるのかもしれない。キャップの先をつまんでのばしながら、やけにどぎまぎしてしまう。女性は目をおよがせるばかりの子どもに気をわるくしたふうでもなく、もともとこちらがわへはみだしてもいなかった荷物を、さらに窓辺へ寄せてくれた。
あんまりぶっきらぼうに見えないといいのだけれど。気がかりに思いつつできるだけていねいな会釈をして、座面へ腰をおろす。座席と座席のあいだはかなりゆったりとしていて、キャリーバッグをまえの席の背面へつければ、かりに足をのばしたとしても問題ないくらいのスペースが確保できた。
ぐんぐんスピードをあげたリニアは、あっという間に最高速度へ達したらしい。窓の外、ぶあついガラスをとおして見える景色が均一に、はじかれるようないきおいで背後へ流れすぎる。ついさっきまでビルの立ちならぶヤマブキの中心部にいたのがうそみたいに、世界は音もたてないまま、平坦でのどかなものへすがたをかえていく。
そういえば、ヤマブキを発ったら連絡をいれるようにと言われていたのだった。
——あれだけ言ったでしょう、まったく。
腰に手をあててそう私をしかる母が目に浮かぶようだったから、まちがえて自由席の車両に乗りこんでしまったことはふせておこうと決める。
焦点は窓の外に合わせたまま、手元でポケッチを立ちあげた。視界のはしで端末を操作し、デフォルト表示に設定しているアプリからメッセージアプリへ移行しようとしたとき、ふいに車体はトンネルへ差しかかった。
ごう、というひくい音と同時にまっくらになった車窓の反射ごし、となりの女性と目が合う。トンネル内で電波がつうじるのかどうか、よくわからなかったのでポケッチからはいったん手をはなして、だけどすぐに顔をそむけるのも、なんだか感じのわるいような。ためらって視線をそらせずにいると、ガラスに映った光景のなかで、つまり実際に、彼女がこちらを振りかえった。
「きみ、ひとりなのね。はなれたところに親御さんがいるのかと思ったけど、そういうわけでもないみたい」
「ああ、ええと、はい、そうです……けど」
きれいな女性とはいえ、知らないおとなから急に声をかけられたことと、話しかけられた内容にもかすかな不信感をいだいたのとで、自然と返事がぎこちなくなる。けげんそうなのは声だけでなく、態度にもありありとにじんでいただろうに、女性はからりとあかるく言う。
「あはは、急にごめんね。べつにあやしいものじゃないわよ、って言うとよけいにあやしいか。……ただ、ひとりなら、席を交換したいなって思って」
「へ」
思わず間のぬけた声を発してしまった。交換。つまり窓ぎわのDの席と、通路がわの私の席を。
両親そろって休みの日程が折りあわなかったことしは、祖父母の家があるジョウトへ帰省するのに、もちろんむこうの駅へむかえにきてくれる祖父母と合流するまでのみじかいものではあるけれど、はじめてひとり旅をしている。
例年、車で行くのでもリニアで行くのでも、起こしてくれるだれかがいて席についている旅程では、ほとんど眠ってすごしていた。だからこそ新鮮な気持ちで見とれていた景色へ、もっと接近できる席。正直にいえば願ってもない提案だ。悪意があるようにも見えないし、そもそも席を交換しただけでなにかをどうこうできるとも思わない。
だけど指定席なのだから、女のひとはあえて人気のある窓ぎわの席を取って、そこに座っているはずだった。そういう場所を、偶然となりあっただけであいさつさえかわしていない初対面の子どもに、明けわたしてくれようとする理由。それがちっともわからない。
「あの。そこ、予約してるんですよね」
とおりそうな道理をさがせばさがすほど混乱してきて訊ねると、「指定席だからね」とかえされる。そうなのだけど、そうではなくて。
「えっと。私は窓ぎわに座れたら、うれしいですけど。でもせっかく予約したのに、なんで」
「習慣でなんとなく取っただけで、理由とかこだわりとか、あるわけじゃないの。景色はきれいでも、仕事で何回もリニアをつかってるから、見なれちゃってるし。だったらよろこぶひとに座ってもらえたほうが、あたしも気持ちよく乗ってられるんだけど。だめかしら」
言いながら、彼女は片がわの口角をあげた。
ドラマで悪女を演じるひとが浮かべるような、皮肉さと陰をふくんだ表情は女性の顔だちによく似あっていて、なのに言っていることがやさしく平和なものだから、そのギャップに肩のちからが抜けてつい笑ってしまった。
かるくかぶりを振って、笑いを散らす。
「……席、交換してもらえますか?」
「ぜひ。どこまで乗ってるの?」
「ありがとうございます、えっと、コガネまで行きます」
「ちょうどいいわ、あたしもコガネで乗りかえるから。それじゃあ、あんまりながいあいだじゃないけど、窓ぎわの旅をおたのしみください」
こんどは最初に見せた無邪気な笑顔と、笑顔のもつ雰囲気そのままのどこか子どもじみたいたずらっぽい口調で言って、女性は席から立ちあがった。
私もつづくと、まえの座席へ寄せていたキャリーバッグを押して通路に出る。足元のスペースにはたっぷり余裕がある。彼女が座りなおしてから荷物を移動しようと思ったのだけれど、タイミングをうかがう一瞬のすきに彼女が私のバッグを窓ぎわへ引きよせ、そこにあった自分の荷物を通路がわへ出して位置を入れかえてしまう。
そういうところは外見どおり、スマートなおとななのだ。なにかとのぞくギャップがおかしくて、きれいなひとなのに、すこしかわいらしい。声をかけられたときの警戒心が完全にとけると、単純なもので、けっこうラッキーな旅かもしれない、なんて思う。
「すみません、ありがとうござ……」
彼女のまえをとおってお礼を言いかけたその瞬間、リニアがトンネルを抜け、窓の外があかるくなった。はいったときと似た音だけでなく体の芯にひびく衝撃もともない、おどろいて肩がはねた。
「……おどろいた」
そうつぶやいたのは女性だ。びっくりしましたねと同意の相づちを打ち、中途半端にとぎれたお礼を言いなおそうとして向きをかえた私は、どうも彼女が、トンネルを抜けた際の音や衝撃におどろきをしめしたのではないらしいと気づいた。
彼女は上方から落ちてきたものを受けとめるような手つきで、おなかのたかさにポケッチを持っていた。端末のかたむきと振動を検知して起動した画面が、昼の陽ざしのなかでも煌々と光をはなっている。
私のポケッチだった。以前からストラップのジョイント部分がゆるんでおり、たびたび締めなおしていたのだけれど。いまの動作でついにはずれてしまい、彼女がキャッチしてくれたらしい。
メッセージアプリを立ちあげるまえにトンネルに突入した。そのまま手をはなしたから、女性の手元の液晶ではデフォルト表示に設定してあるアプリ——ダウジングマシンが起動しているはずだった。
彼女はそこへ、まっすぐ視線をそそいでいる。
「これ」
ぽつりと言い、ほどなくしてつづけた。
「はじめて見たわ。同業者以外がつかってるのも、きみくらいの年の子がつかってるのも」
*
地元ではあえて名前を言う機会がすくないので新鮮だ、そう言いそえて、女性はシロナと名のった。
兼業の考古学者なのだという。けんぎょう、の意味を結べずにいるのが顔に出ていたようで、「学者だけじゃなくて、ほかにも仕事をしてるの」と付けくわえてくれた。
私がポケッチにインストールしているダウジングマシンアプリは、フィールドワークに出て史料を採取する、たとえば地理学や文化ポケモン学といった分野の研究者にひろく使用されているものだ。ダウジングマシンとしておなじアプリを利用している同年代の友人など、当然いない。私のような子どものポケッチにこのアプリが導入されていることに、おどろくほうが自然な反応といえた。
とはいえ私も私で、たいそうおどろいているのだった。
まず彼女がその容姿から連想される、舞台に立ちスポットライトを浴びるモデルや女優のような職業ではなく、考古学者という、地道で、はなやかさとは縁とおい研究職についていることに。
そしてなにより、垣根をこえたさまざまな分野の研究者たちに使用されているこのアプリの、自分以外にはじめて出会った利用者——それがほかでもなく、私が熱をあげている学問の専門家だということに。
「ご両親が好きだとか? 歴史とか、そういうもの」
そう訊ねられて首をよこに振った。
「両親は、まったく。こんなアプリがあるって教えてくれたのは父なんですけど、私が好きだからって、がんばって調べてくれただけで」
「へえ、じゃあ好きになったきっかけが、なにかあるのかな」
「むかし、科学博物館というところに行ったんです」
シロナさんが「ニビシティの?」と目をほそめるので、いきおいあまって何度もうなずく。
「そうです! あそこで……」
好きなものの話がつうじる相手どころか、その道のエキスパートと一対一で会話できる、それがシロナさんみたいに気さくで話しやすく、子どもの話も面倒がらずいきいきと聞いてくれるおとなだなんていう機会。たまたまとなりあった指定席、トンネルにはいったタイミング、ゆるんでいたストラップ。偶然に偶然がかさなってととのったこんな幸運な場が、この先そうそうおとずれるとも思えなかった。
ひたすら夢中で会話をつづけるあまり、いつしかひじかけから身を乗りだしかけていたのに気がついて、はっと肩を引く。
「ご、ごめんなさい。自分の話ばっかり。まわりに話せるひとぜんぜんいないから、つい、うれしくなっちゃって」
「気にしないで。あたしも子どものころはそうだったから、よーくわかるなあ。あたしの出身地、町の中心に遺跡があってね。おなじ年ごろの子たちはもう見なれちゃって、ただの風景の一部としか思ってないのに、あたしだけが毎日飽きもせずかよってたの」
「じゃあ、考古学者さんになったのは」
「うん、やっぱりその遺跡がきっかけで、はじまりね。将来はこういう場所を研究するようになるんだろうって、あきれ半分みたいな感じでしょっちゅう言われてたけど。当時そう言ってたみんなも、まさかほんとうになるなんて思わなくて、びっくりしたんじゃないかしら」
「すごいです、ほんとにすごいです。……町なかに遺跡なんて、それもすごいし、すてきです。ジョウトにもそんなところがあるんですね。何度も行ってるのに、おばあちゃんたちのところばかりだから、ちっとも知りませんでした」
本やインターネットで情報をかきあつめてひそかにつくっている『いつか行きたいところリスト』に、ぜひシロナさんのふるさとをつらねたい。そう考えついたところでなぜか彼女のほうが、なにかに思いいたったようにはたと天井を見あげ、ひたいに手の甲をあてた。
「ああ、ジョウトじゃなくて。シンオウって、わかるかな」
「えっと、北のほうの」
「そうそう、北のほうの。『試される大地』」
私も耳にしたことのあるキャッチフレーズをつぶやき、「地元、あそこなの」とほほえんだ。
「わあ、そうなんですね! じゃあご出身はむこうで、いまはジョウトに?」
「ううん、故郷は出たけど、ずっとシンオウに住んでる」
仕事で何度もリニアをつかっていると言っていたから、きっと今回も仕事で行くのだろう。内心その線で納得しかけていたら、本人から正答がしめされる。
「ただ、仕事でもなくて。趣味と実益をかねてというのかな。この時期はもうひとつの仕事がシーズンオフになるから、いろんな史跡をめぐるのよ。それでことしはジョウトにね」
「へえ、いいなあ……いいですねえ」
語尾をかえてくりかえす言葉に、心からの感嘆をのせた。
子どものころ出会って好きになったものを、職業という人生の柱にまでしてもなお、一心に好きなままでいる。もちろん見えない苦労も、苦悩もたくさんあるはずだ。でもかたちのうえでひとり旅をしながら、結局のところ、ほんとうの意味ではまだひとりでどこへもゆくことのできていない私の目に、そのさまはただかがやかしく映って、うらやましくて、まぶしかった。
ぽろろん、と車内チャイムが鳴る。つづいたアナウンスが、間もなく途中駅につくむねをつげた。
「……お手洗い、行ってきますね」
ストラップのジョイントを念のため締めなおしながら言い、ひらひらと指を振るシロナさんに見おくられて席を立つ。
デッキへ歩く道すがら、リニアはかすかに体感できる程度のゆるやかさで減速をはじめた。さすがに高層ビル群とまではいかないけれど、歩きながら目を向けた窓の外の風景には、すこしずつ都市近郊のおもむきがただよいはじめている。
コガネ到着まえ最後の停車駅に、ほどなくしてたどりつく。
旅の終わりが、すぐそこまでちかづいてきているのを感じる。
*
タオルハンカチで手をぬぐってトイレを出る。待っているひとのすがたもなかったので、おくればせながらその場で母にメッセージをいれた。発車時刻をすぎても連絡がないから、仕事中にはらはらとポケッチをにぎりしめていたのかもしれない。返信はすぐにとどいた。
——よかった。寝てたの? 寝すごさないように気をつけてね。
すこし迷って、合流したらまた連絡するよ、とだけ入力する。
送信完了と同時に、リニアがうごきだす。つくづく着席状態での発車に縁のない旅だ。苦笑しつつ席にもどると、私と同様だれかにメッセージをいれていたらしいシロナさんが、組んだ脚を引っこめて送信ボタンを押し、ポケッチをスリープモードにしてから顔をあげた。
「おかえり」
そういえば、このひとが『兼業』していると語ったもうひとつの仕事こそ、モデルや女優のたぐいではないかとひそかにふんでいたけれど。シーズンオフがあるという話を聞くに、推測はどうやらはずれたらしい。
条件をみたす職業を考えたとき、まっさきに浮かぶのはポケモンリーグだ。でも、いくらカントーのテレビで試合が放送されないシンオウリーグの面々を知らず、可能性としてゼロではないからといって、彼女と結びつけるのはあまりにおおざっぱで短絡的すぎる。
だって、まさかそんな。たまたまとなりに座った女性が、考古学者だったのにとどまらず四天王、あるいはチャンピオンでもありましたなんて、できすぎていてありえない。
むしろいまはそれよりも、中心部におさないシロナさんをとりこにした遺跡をいだくのがなんという町なのか、そちらのほうが気になる。思いながら彼女のまえをとおらせてもらい、窓ぎわの席に腰をおろして訊ねようとしたとき、シロナさんが先んじて「そういえば」と切りだした。
「そのアプリ、つかってるってことは、もういろんなところに行ったの?」
「あ……いえ、それがじつはまだ、ぜんぜん。カントーは開発がすすんで、ほとんどおおきな遺跡とか残ってないから、ネットや本で調べるばっかりで。……でもこれから、行けることになっているんです」
「なるほど。お父さんががんばってアプリを探してくれたのは、それもあったわけね。きみがようやく遺跡に行けるから、しっかり見てこられたらいいと思ったんだ」
おおきく、一度だけうなずいた。
「……見つけてくれて、ほんとによかった」
「よかった?」
シロナさんは背もたれに頭をあずけたまま私の言葉をくりかえし、すこし首をかしげた。
「はい。父も友達も、ダウジングマシンとしては性能がとがりすぎてるって言います。でも商品として分類しなくちゃいけないから『ダウジングマシン』としてるだけで、このアプリのほんとうにだいじなところは、きっとそこじゃないんです」
「ふうん、それならきみは、どこだって思うの」
「地図はどんどんマッピングされて、データベースにもどんどん最新の情報が追加されて、こまかい更新はされていきますけど、ダウジングの探知と地図と、図鑑機能っていうおおもとそのものは、ずっとかわらない。それって、フィールドワークに行くひとたちにとって必要な機能がぜんぶそろってる、それだけこのアプリがはじめから完成してる、っていうことだと」
そこまで言ったとき、知らずしらず胸のまえでにぎりしめていた自分のこぶしが目にはいり、また熱弁をふるいすぎていたのに気がついた。
私が唐突に言葉をつまらせたからか、シロナさんがこちらを見るのが横目にわかる。猛烈に恥ずかしくなってきて左がわに顔を向けられず、視線とこぶしをひざへ置いた。
「……わ、私が行くなら『見学』になっちゃうし、まだ実際にはつかえてないし。ちゃんと活用してるかたに、いまさらはりきって言うことじゃありませんよね。でもとにかく、すごいアプリだから。父が、見つけてくれてよかったって」
ほどいた指をいじりつつもごもごと言いおえて、一秒、三秒、五秒経った。となりからはなにも聞こえない。
さすがにあきれられただろうか。おそるおそるうかがった通路がわの席で、シロナさんは唇のしたに指をそえ、考えこむような表情をしていた。私の視線に気がつくと一度こちらを見て、ほほえみながら腕をさげた。
「ああ。ごめんね、無視したわけじゃないの。ただ、うれしくて」
こんどは私がくりかえす番だった。
「うれしい、ですか?」
「うん。……きみは、まだ実際フィールドワークに出たことがないの、気にしてるみたいだけどね。ちかいうち、行けるんでしょう? それに、話すのを聞いてるだけで伝わる。考古学にほんとうに興味があって、好きなんだっていうこと。だからそういう子につかってもらえて、うれしい。ありがとう」
無意識に口からこぼれた「え」という声はかすれていて、窓の外を流れすぎる音に埋もれる。シロナさんにも当然聞こえなかったようで、そっと目をふせた。
「きっとこのアプリも、きみみたいな子にそこまで思ってもらえて、活用してもらえれば」
「こ、この、これ。もしかして」
本望ね、と言う語尾へかぶせるようにして、思わず口ごもる。
シロナさんは組みかえたひざへ手を置き、例の、顔だちにはともかくひとがらにはまったく似あわない、悪女みたいなうつくしいやりかたで片がわの口角をあげた。
「シロナさんがつくったんですか」
あんまりおどろきすぎて、かえって抑揚をなくした平坦な口調になる私に、彼女は表情をやわらかくゆるめて「ほんとうは言うつもりじゃなかったのよ」とこたえる。
「つかってくれてるひとに、ひけらかすみたいでちょっとはずかしいし。でもきみがすごく熱心に話してくれるから、つい、ありがとうって言いたくなっちゃった。……あたし、機械とか技術のことはからっきしだめだし、そもそも共同だったし、『あたしがつくった』は言いすぎかなと思うけど。でも、そうね。そのアプリには企画立ちあげからリリースまで、ずっとたずさわってました」
こんなことが、あるものなのか。
シロナさんのもうひとつの仕事が四天王かチャンピオンなのだとしたら、あまりにできすぎていて、ありえない。ついさっき、そんなふうに考えた。でもいまここで起こっているのはおなじくらい、もしかしたらそれよりもっと、すごいことなのかもしれない。
おぼえずひらいていた唇を、はっと引きむすぶ。聞きたい話がいくらでも浮かぶのに、旅は刻一刻と終点へちかづいているのだ。呆然としている場合ではなかった。
「学者さんとして、っていうことですよね。じゃあ、ええっとアプリの……その、なんて言うんでしょう」
「監修かしら。それもだけど、どちらかといえばデータの提供がメインだった。パートナーと分担で、むこうはポケモンの生態、あたしは地形やスポットの概略なんかをね」
「……もしかして、史跡全般についての解説が、とくにくわしいのって」
「あはは、やっぱりわかる? そこにかぎったアプリじゃないのに、そのあたりはちょっと自分の趣味、出しちゃったかも」
実際には『ちょっと』どころではないので、私は笑った。データを提供する研究者の分野にかたよりがあるのだろうと考えていたけれど、まさか開発段階からの話だったとは。
シロナさんも、前髪から片方だけのぞく眉尻をさげて笑う。
「データの下地があるといっても、それを商品として落としこむのって、論文を書くのとはまったく勝手がちがった。たいへんだったなあ。パートナーと、おたがい仕事の合間をぬってあちこち駆けずりまわって、寝るひまも削ったくらい」
そう言いながら、当時が記録されたフィルムをそこへ映写するようにななめうえを見あげて、すうと目をほそめた。
共同だと言ったときも、直前も、いまも。その人物に対し、とくに差しはさまれる感情をにおわせないごくフラットな口調だったので、てっきりパートナーというのも、ビジネスパートナーのように事務的な意味あいなのだと思っていた。
でも、ちがったみたいだ。何年もむかしのことを思いだすのに、いまだに目のまえで鮮明にかがやきつづけるものを見るように、まぶしそうな、やさしい表情をした。彼女がパートナーと呼ぶひとがしたしい友人なのか恋人なのか、いまもとなりにいるのか、もう会えなくなってしまったのかまでは読みとれない。ただ当時から、そしていまにいたってもずっとたいせつな相手なんだろうと、その事実だけはあまりにもつよく、伝わった。
このひとは一度『たいせつ』の範囲にいれたものを手ばなさず、いつまでも心のまんなかに置いておく。呼吸するみたいに、心臓を鼓動させるみたいに、まばたきをするみたいに、意識さえしないあたりまえの行為としてそれをいつくしむ。そういうひとなんだ、と思う。
まだどこへもゆけていない私も、いつかそこへたどりつけるだろうか。好きなものをずっと好きなままで、芯に持ったままで、いられるんだろうか。
「……たいへんでも、たのしかったんですね。とっても」
受けた印象そのままを口にすると、くだり坂でつまづいて、足をまえへ出しつづけないところんでしまうからいきおいよく駆けおりるみたいに、言葉をとどめられなくなる。ゆっくりとさがってくるシロナさんの目線が、現在へもどりきるのを待てない。
「さっき、言いましたよね。共同だったから『シロナさんがつくった』は言いすぎだって」
「うん?」
彼女はすこし首をかたむけ、ふしぎそうな表情で私を見た。きっと話のつながりを唐突に思っている。それでも、私にはあのころをまぶしそうにするあなたこそがまぶしいのだと、どうにか伝えなければなにかがあふれてしまいそうで、うつむいて目をふせる。
「それじゃあ、きっとパートナーさんといっしょに……ふたりで、つくったんですね。だから……」
だから。つづけようとしたとき、正面で、ちいさく息をのむ音を聞いた。言葉を切って顔をあげる。
ほんのわずか目を見ひらいたシロナさんは、私と視線がぶつかってもしばらくそのまま黙っていた。ちょうど、私がとなりの席へおくれてやってきたときのようだ。いまはあのときと位置関係がちがって、もう彼女の名前も職業のひとつも、出身地方だって知っているのに、凝視の理由だけはあいかわらずわからなくて、名前を呼ぶ。
唇をうすくあけて吸った息を、だけど結局口にすべき言葉が見つからなかったようにただ吐いて、それをもう一度くりかえしてからシロナさんは「そうだった」とつぶやいた。自分自身へ言いきかせるような言いかただった。
「あのころ、ほんとうに毎日いそがしくて、寝るひまもなくて、なのに一度だってほんのすこしだって、こんな話ことわればよかったとかもうやめたいだとか、思わなかった。ほんとうにたのしかった。……ふたりだったから」
「はい、そういうふうに聞こえました」
「……あたし、ふたりでなにかをつくりたかったんだわ。あたしたちが出会ったから生まれた、かたちのあるなにかがほしかったのかもしれない。だからあんなに、たのしかったのね。おかしな話。当時はちっとも意識してなかったのに、いまになって、きみに言われて、はじめてわかる。すべての命は……」
あとになるにつれ、噛みしめるように速度を落としていく言葉の先に、車内チャイムがかさなる。
『今日もリニアをご利用いただき、ありがとうございます。間もなく、コガネです。エンジュ、キキョウ方面へお越しのかたは……』
シロナさんはかきけされた言葉を言いなおすことなく、ゆるくかぶりを振って苦笑した。
「ごめんね」
「え?」
「あたしこそ、最後は自分のことばっかりになっちゃった。それにたいへんだったとかじゃなくて、もっとたのしい話、聞きたかったわよね」
「ううん、そんな。そんなことないです、ほんとに。お話ぜんぶ、どれも、聞けてよかったです」
社交辞令に聞こえてほしくなくて、言いながら首をぶんぶんよこに振る。シロナさんはあっけにとられたような顔をして、けれどすぐに目元をゆるめた。
コガネで降りる乗客が大半なんだろう、車両内のあちこちから、ごそごそと荷物をまとめる音が聞こえだす。ペットボトルいりの飲みものひとつ取りださないまま会話していた私たちの周囲が、にわかに落ちつかない空気でみたされるなか、彼女がふいに「ねえ、それ」と言う。
目線のとまった位置でなんのことを指しているのかわかり、ひたいへ手をやった。
「これですか」
「……うん。暑くないの?」
あんなに北のほうにあるのだし、シンオウの夏はカントーやジョウトのそれより、いかにもすずしそうだ。この季節に帽子をかぶる習慣がそもそもないのかもしれない。そんなことを考えながら指でそこを撫でると、キャップの折りかえしの、やわらかくてかるい感触が指にふれた。
「夏用の素材なんです。見た目よりもかるいし、暑くないですよ」
「へえ、そうなんだ」
「シロナさん、もしかしてそれでこのキャップを最初、見てたんですか? 暑そうだなって」
「あら、気づかれてた」
あんなに見られていたら。
そう笑おうとしたところで彼女が、「また自分の話になっちゃうけど」とつぶやく。そうして浮かべたのがパートナーとの記憶をたぐってみせたときとおなじ、ひどくやさしい表情だったから、私は聞きのがしたくなくてぐっと声をのみこんだ。
「むかし、パートナーがよく似た帽子をかぶってたものだから、なつかしくて、気になって。それでたのしそうに景色を見てたきみに、声をかけたくなった。びっくりしたでしょう、ごめんね。……でも、あんまりながい旅じゃなくてざんねんなくらい、ほんとうにたのしかった。話せてよかった。ありがとう」
反射的にうなずいてから、ながい旅ではなくてざんねんだと言うべきなのも、話せてよかったと言うべきなのも、私のほうだと思う。
リニアは地図で見てもあれだけはなれている、車で行けばあれだけかかるカントーとジョウトを、うたた寝するひましかないくらいの短時間で結びつけてしまう。ほんとうにはやくてすごい。いつもそんなふうに漠然と感動していたけれど、まちがいなく今日が一番、またたく間にすぎた旅路だった。
あんまりあっという間だから、考えをまとめる時間もないまま、もう旅は終わる。シロナさんの言葉をただおうむがえしにするだけでなく、なにか気のきいたことを言えたらいいのに、私の頭のなかの辞書はあんまり分野がかたよりすぎている。いくら焦ってページをめくっても、このひとにわたせるような言葉が見つからない。
*
降りぐちへ向かう流れが落ちつくのを待って列にならび、リニアをあとにした。コガネから乗車するひとびとが入れかわりに車両内へ吸いこまれると、あたりにひと影はまばらになる。だけどきっと一瞬のことだ。ホームはまたすぐに、つぎのリニアを待つ乗客でいっぱいになるだろう。
どちらからともなく歩きだし、ゆっくりと十メートルほど進む。私はホームの吊り看板のしたで足を止めると、となりで同時に立ちどまったひとの名前を呼んだ。
こちらへ向きなおる彼女の目を見て、結局、ありきたりなことしか出てこない。
「いろいろお話してくれて、ありがとうございました。こちらこそ、すごくたのしかったです」
「それならよかった」
「きっとずっと先になるけど、私、シンオウに行きますね。シロナさんが子供のころ、住んでたところに」
「うん、カンナギタウンというの。おおきな山のふもとのちいさな町。自分で言うのもなんだけど、落ちついたいいところよ。カンナギだけじゃなくて、シンオウにはほかにもたくさん、きみの好きそうな史跡がある。いつかぜひ、見にきてほしいな」
「はい、それじゃあ」
おじぎをして、「私、ここで」と言いながら顔をあげる。
もう一度目が合ったシロナさんは「あら」と瞳をまたたかせ、
「改札、まだもうちょっと先よ?」
そう言って頭上の吊り看板を指さした。矢印と文字と数字だけのシンプルな案内板だ。中央改札口はこの先まっすぐ。キキョウ方面乗りかえの連絡通路はすぐ左手へ。
改札と言われたので、私は自分が彼女に『コガネまで行く』としか伝えていなかったのを思いだす。
「あの、乗りかえてキキョウまで行くんです。おばあちゃんとおじいちゃんがむかえにきてくれるので、あそこの駅で合流します」
「おばあさまたちのおうち、キキョウにあるの? でもそれなら、どうしていままで……」
「えっと、家はヨシノで。だけど私がはじめてひとりでジョウトに里がえりするからって、おじいちゃんたちが、アルフの遺跡につれていってくれることになって」
「ああ、これから行けるって。今日これからってことだったの!」
コガネまで行くとつげたときはまだ名前も知らないあいだがらだったし、これから行くと話したときは、それですっかり説明しきったつもりになっていた。どちらのときも、すこしずつ言葉が足りなかったらしい。
くすくす笑っていたシロナさんが、唇のまえでぽんと合わせた手のひらといっしょに、頭をかたむける。
「それじゃあキキョウまでもうすこし、ごいっしょできるわね」
「……え?」
「ジョウトに行くとしか言ってなかったけど、あたしもじつは今日、アルフに行くから。キキョウ行きのホームで待ちあわせしてるの。さ、行きましょう」
吊り看板のしたで終わってしまうと思っていたこのひととの旅が、キキョウ到着までのみじかい時間ではあるけれど、どうやらもうすこしだけつづく。ちいさな行きちがいが発覚したとたんの急展開に、おくれて頭が追いつく。
気になるところがいくつもあって、それはたとえばシロナさんの待ちあわせ相手が、唐突にあらわれた見しらぬ子どもを気にしないのだろうかとか、反対に、そもそも私の意思や返事は聞かないんですかとか、そういうことだったのだけれど——彼女が連絡通路へきびすをかえすと、足は自然、そのあとを追って歩きだしていた。
「シロナさん、待ちあわせって私、いっしょに行ってもだいじょうぶなんですか」
「ええ、もちろん」
「だけど」
「平気平気、心配いらないわ」
笑いまじりに言う彼女の足どりはゆったりとしていて、キャリーバッグを引く私の歩調に合わせてくれているのがわかる。
このひと、基本的にはこういうスマートな気づかいのできる、やさしく思慮ぶかいおとなである一方、けっこう子どもじみたマイペースさもありはしないだろうか。心配になって問いかける質問に、あんまりかるい口ぶりでかえされるので、ふとそんな思いが頭をよぎる。
だけどいやな感じはまったくしなくて、心配しながらも、ついていく足音は自覚できるくらいにはずんでいた。
ゆるいくだり坂になった通路を進んで、突きあたった乗りかえ改札をとおり、在来線ホームへのぼるエスカレーターに乗る。
「待ちあわせてるかたも、考古学者さんだとか?」
二段うえのステップを見あげて訊ねると、そこに立ったシロナさんがこちらを向き、「ううん」と首をよこに振った。
「研究者ではあるんだけどね、分野がちがう。むこうが学会でジョウトにくるのと、あたしのシーズンオフがたまたまかさなったから、いっしょに観光しようって」
シーズンオフ中にわざわざ待ちあわせて、趣味と実益をかねた『観光』へくりだそうとしているくらいだ。ただの異分野の研究者仲間というのではない、それなりにしたしい関係のはずだった。そこへ私がまざっていいものか、のんきにも忘れかけていた心配がはたと再燃する。
エスカレーターがホームの階にちかづいて、視界のななめうえへ空間がひらけた。彼女は正面へ向きなおってひとつ伸びをすると、ひとりごとみたいにつぶやいた。
「うーん。会ってほしいと思ってたから、よかった」
「へ、それ、どっちがどっちに……」
とまどう声がとどいたのかとどかなかったのか、とにかくなんらかの回答を得るまえに、ひとあしはやく階上へついたシロナさんはキャリーバッグを引き、あたりを見まわすそぶりもなくすたすたとエスカレーターをはなれた。
電車が行ってしまったばかりなのか、ステップ二段ぶんおくれてあがったホームは、リニアの乗り場よりもさらに閑散としている。奥のほうに、女性と思しい細身の影がひとつ。シロナさんがそこへ向かってまっすぐ歩みをはやめるから、そのシルエットが待ちあわせ相手なんだろうと判断して、私もあとにつづく。
合流したふたりの、会話の細部までは聞きとれない程度に距離をおいて足を止めると、シロナさんの肩ごしにそのひとの前髪からうえだけがのぞいた。どんなひとだろう。シロナさんをうたがってかかるわけではないけれど、知らない子どもがいて、ほんとうに気をわるくしないだろうか。
ふいにやりとりへまざりこむ自分の名前を聞き、顔をあげた。呼ばれたのではなく、女性に私を紹介してくれていたみたいだ。そのひとは立ち位置を一歩よこへずらしたシロナさんを視線で追い、ちかづく子どものひたいのあたりへ、つぎにまなざしをとめた。それから私と目を合わせ、「こんにちは」とほほえんだ。
おなじあいさつをかえして、今日すでに感じたおぼえのあるどぎまぎとしたものを胸に、ぺこりとおじぎをする。
はなやかな顔だちが目を惹くシロナさんとは系統のちがう、だけど小ぶりなパーツのひとつひとつがととのった、きれいな女性だった。昼の陽ざしが降りそそぐホームにふたりがならんでいると、そこだけがひときわきらきらしているように錯覚する。容姿もそうだし、年齢だって、学者としてはわかいシロナさんよりさらにわかい。シロナさんと同様、外見だけで研究職だと察せるひとなんていないはずだ。
「それで、ええと。こちらがヒカリさんです」
シロナさんが彼女のとなりへ移動し、手でかたわらをしめして言ったら、『ヒカリさん』は唇に指をそえてちいさく吹きだした。そういう表情をすると、ととのいすぎてどこかつくりものじみているような雰囲気がゆるんで、ほほえんでいたときよりもずっとしたしみやすい印象になる。
「やだ、ちょっと。どうしてさん付けなんです」
「あたし、ふたりからさん付けされてるじゃない? ひとりだけ呼びすてだったら、仲間はずれみたいでさみしがるんじゃないかと思って」
「なに言ってるのですか、もう。呼びかたに仲間はずれもさみしいもないでしょう」
いかにもしたしい仲らしい、じゃれあうようなやりとりをかわす間にこらえきれなくなったとみえて、ヒカリさんがくすくす笑いはじめる。ほとんどおなじタイミングで笑いだしたシロナさんが、かさねた両手をヒカリさんの肩へ置いて、もたれかかるような体勢になった。
その瞬間だった。
目くばせをするとかどちらかがそっと腰を抱きよせるとか、わかりやすく親密さをうかがわせるしぐさはもちろんなかった、肩のうえの手だって、体をかがめたから必然的にそこへ置かれたにすぎないように見えた、なのになぜだか、わかった。
——そうだった。
——ふたりでなにかをつくりたかったんだわ。あたしたちが……
シロナさんが、フラットな声でパートナーと呼んだ。自分たちが出会ったから生まれた、かたちのあるなにかがほしかったのかもしれないとつぶやいた。私とよく似たニットキャップをかぶっていたと話した。
そのひとは、ヒカリさんだ。
根拠や理由を訊ねられても言えないのに、かたく切実な確信をもつ。そのくらいに、その瞬間、その理解があまりにもすとんと自然に、私の胸まで落ちてきたのだった。
私の納得が伝わったみたいに、シロナさんがこちらを見てまばたきをする。私の心の声を承知したみたいに、ヒカリさんから見えない角度で、まっすぐたてたひとさし指をほほえんだ唇へすうっとそえる。
私も気づかれない程度の目線のうごきでうなずき、息を吸った。
「ヒカリさん。……急におじゃましてすみません」
彼女は笑みを残したまま、「ぜーんぜん」とかぶりを振る。
「あやまることなんて、なにもないよ。こちらこそごめんね。たぶんシロナさんが、むりを言ったのだと思うし」
「いえ、そんなことないんです。私、考古学に興味があって。もっとお話、聞きたいくらいだったんです」
「そうよお、ひと聞きのわるいこと言わないで」
「はいはい。……けど、そうだね。くわしくないわたしに話を聞かせるだけじゃあ、シロナさんもきっと張りあいがないから。いっしょにきてくれたほうが、わたしもうれしいな」
そう言ってかたわらのシロナさんを見る、ヒカリさんが。
おなじ顔をしていた。
すぎた日の思い出を、いまもとなりにいるパートナーのすがたを想うときのシロナさんとおなじ、やさしい顔。
旅や、なにかを好きでいること。その終わりをずっと考えていた私に、終わらずつづいていくものがあると教えてみせる表情。
「ほらね、平気だったでしょ?」
姿勢をもどしたシロナさんは、ほめられたがる子どもみたいな笑顔で私に言った。ヒカリさんがとなりと正面を交互に見くらべて、おかしそうに肩をふるわせる。
「わたし、これこそ仲間はずれだと思うのですけど。なんですか、なんの話?」
あなたの話だ。
シロナさんはずっと、あなたの話をしていた。
今日だけじゃない、自分でも意識さえしないくらいむかしから。見ているだけの私までそこへたどりつけるような気がしてしまうくらい、まっすぐなやりかたで——たいせつなものを、ずっとたいせつにしている。
きっとあなたも、そういうひとなんだろう。あなたたちは、そういうふたりなんだろう。
スピーカーから、ワンフレーズのメロディが流れる。電車の接近を、それから旅の終点がちかづいているのを、私に知らせる音。
ホームの屋根が落とすやわらかな影のした、私はまぶしさに目をほそめながら、その音を聞く。
旅は、まだ終わらない。