フォール・イン

 どん、がたがた。
 すぐそばから聞こえてきた、なにかを叩きつけるようなはげしい音に、足元にならんだ多肉植物の鉢植えをながめていたあたしはびくりと顔を上げた。
 吹きつけた風が、正面にある腰高の引きちがい窓をゆらしたようだ。今日は雨の心配こそいらないものの、一日を通して強風が吹くという予報が出ていた。音の出どころと原因に察しがついたところでもう一度、がたがた、ばん。こんどはなんとか動じずに済んだ。
 レジカウンターのほうから、だれかの駆けよってくる足音がする。
「ああ、うるさくってごめんなさい」
 現れた女性スタッフはエプロンのポケットから厚紙の切れはしらしきものを取りだし、クレセントを回してわずかに開けたサッシのすきまへ挟みこんだ。どうやら応急処置のようで、音と衝撃がほとんど気にならないくらいに収まる。
 いかにも慣れた手つきに感心していると、女性は「びっくりさせましたね」とこちらを振りむいた。
「建てつけがわるくなってるみたいで。ちょっとくらいの風なら問題ないんですけど、今日みたいにあんまりつよいと。……あら。えっと。ヒカリさんのお連れさま、ですよね」
 彼女があたしの顔を見つめてうかべた『おや』という表情にも、記憶をたどるような視線のうごきにも、それぞれおぼえがあった。つづく言葉も、ある程度の予想がつく。
 案の定、すこし首をかしげて「もしかしてテレビとか、出ていらっしゃいます?」と訊かれた。
「あの、リーグですこし」
「ああ、それで!」
 そろえた両の指先を合わせ、女性がすっきりした表情になる。いちおうは公人の部類にはいる職業なのでこういう反応にも慣れたものだが、何度行きあってもなんとなく面はゆい気持ちは消えない。
「ごめんなさい、バトルにはうとくって。少々お待ちになってくださいね」
 そう言うと、女性は意図を問いかえす間もくれずにきびすを返し、小ばしりに店の奥へ向かった。店先の多肉植物コーナーにひとり残され、こんどはあたしが首をかしげる番だ。待つ。いったい、なにを?
 ほどなくして帰ってきた女性は、セロファンとリボンでラッピングした一輪の花を「おわびにどうぞ」と差しだした。
「おわび?」
「窓、おどろかせてしまったのと。有名なかたに失礼でしたから。かんたんなもので申しわけありませんが」
「えっ、いえそんな、気に……」
「まあまあ、こちらの気持ちですので。そうだ、リーグでしたらお祝いのお花を贈ることもあるでしょうから、そういった際はぜひご用命くださいな」
 やはりエプロンのポケットから取りだされたちいさなカードが、リボンとセロファンのすきまにそっと差しこまれる。あまりにもなめらかな口ぶりだったので、そこにいたってようやく理解が追いついてきた。
「……そういうことならいただきます」
 笑いを噛みころしきれないまま花を受けとると、女性はにっこりと会釈して引きかえしていった。すがすがしいまでの営業トークへ持ちこまれたというのに、いやな気もしていない。さすがの手口……と言っては聞こえがわるいだろう。やり手というのか、プロフェッショナルというのか。
 なんにせよあたしには真似できない技術だと思いながら、彼女の去っていった方向を見わたす。
 あたしのいる場所から対角線上にあたる店の奥では、またべつの女性スタッフとヒカリちゃんがレジカウンターをはさんで話しこんでいる。花をくれた彼女の言うとおり、あたしはこの花屋に用事があるというヒカリちゃんについてきた『お連れさま』だ。ソノオには何度も足をはこんでおり、この店のことも当然知ってはいたものの、実際に入店するのは今日がはじめてだった。
 ラッピングに挟みこまれたカードを引きぬき、あたりをまじまじと見まわしてみる。まるみを帯びたフォントでつづられた『フラワーショップ・いろとりどり』の名のとおり、店内は色とりどりの植物で埋めつくされていた。生花はもちろん、あたしのいる一角にまとめられた多肉植物、観葉植物、プリザーブド・フラワーのアレンジメント。音をたてた窓以外にもいくつかとられた彩光部からたっぷりと光がそそぎ、息を吸うと、草花の香りが鼻腔を満たす。
 こんなにも五感を刺激されるのに、印象としては調和がとれているのがふしぎだった。
 花屋とは、こういうものだっただろうか。ヒカリちゃんにとっては、スタッフに名前で呼ばれるほどなじみの場所のようだが。
 そういえば、この店をはじめておとずれるというか、花屋に足をはこぶこと自体、ずいぶん——とりとめもなくそこまで考えたとき、レジカウンターのほうでうごきがあった。
 話を終えたらしいヒカリちゃんがこちらへやってくる。その肩ごしでにこやかに頭を下げているスタッフふたりに会釈を返すと、あたしはカードをリボンに挟みなおし、なにも持っていないほうの手を上げてヒカリちゃんを迎えた。
「おまたせしました」
「ううん、ぜんぜん。見てよ、こんなのもらっちゃった」
 いたずらをしかける子どものような気分で、背中に隠していた花を見せる。
 眼前に花を突きだされたヒカリちゃんは目をまるくして、しかし数秒後、くすくすと笑いだした。
 そして、先ほどまでは持っていなかったはずの手さげの紙袋から、あたしのものと似たラッピングの花を一輪、取りだしてみせた。

 *

「店長さん、ブーケ用のお花を切りすぎてしまったのですって」
 店の外へ出た開口一番、ヒカリちゃんが言った。レジカウンターで会話していたほうの女性はどうやら店長だったらしい。
「あまっちゃったってこと?」
「あ、いえ、そっちじゃなくって。みじかくしすぎてつかえなくなってしまったから、おまけにどうぞって」
 そう言った彼女がラッピングから取りだして見せてくれた花の茎は、たしかにあたしがもらったものよりかなりみじかくカットされている。とはいえ花自体は素人目にはきれいに咲いており、捨ててしまうにはもったいないように見えた。
 スタッフ同士が示しあわせたのでもなんでもなく、あくまでも偶然、あたしたちふたりに花を一輪ずつくれた。それがことのしだいだったようだ。
 ヒカリちゃんのおまけはピンク色、あたしのものは白。これまたなんの偶然か、花びらの色こそちがうものの、二輪の花はほとんどおなじ形をしている。花の種類にはあかるくないので、ほんとうにおなじ花なのかどうかは判別がつかないけれど。
「おまけってことは、買いものだったんだ。用事」
「うーん、ええと。なんていうのだったか。やぶ。やば。やべ……」
「……もしかして、野暮用?」
「ああ、それです!」
 あたしが笑いながら口にすると、ヒカリちゃんは花を持った手でもう片方の手のひらをぽんと打った。つねにていねいな言葉づかいをする彼女の口から、今後『やば』やら『やべ』やらのスラングじみた語彙がそうそう出てくるとも思えない。あたしはかなり貴重な機会に居あわせたのかもしれなかった。
 彼女が花畑のほうへ向きを変え、ゆっくりと歩きだしたので、あたしもそれに倣う。
「ちなみに野暮用って仕事のつまらない用事って意味だけど、言いたかったこと、合ってる?」
「……え。そうなのですか? じゃあわたし、言葉のつかいかたをまちがえてたみたいですね」
 ヒカリちゃんは花を右手に持ちかえ、腕に提げた紙袋の口をあたしに向かって広げてみせた。覗きこむと、はずしてそこへいれたラッピングのしたにいくつか木の実が見える。
「売りものにするお花に、よく混ざりこんでるのだそうです。ポケモンが持ってくるのでしょうか。お店では必要ないからほんとうなら捨ててしまうのだけど、ポケモンを探してるひとなら使いみちがあるだろうし、持っていったらどうかって言ってくださって」
「ああ、それで通うようになったわけね」
「はい。顔を出すと、こうやってわたしてくれるのです。ソノオにはよく来るので、旅のあいだからよくおじゃましてました。……あっ。もちろんお花も買わせてもらってますよ!」
 べつにうたがってもいないというか、そうだろうと予想していたくらいなのだが、顔のまえであわてたように花を振るので、つい笑ってしまう。
「毎回買おうとしても遠慮されてしまうので、たまに、ですけど」
 照れくさそうに付けくわえられたところまでふくめて、はじめて聞く話だった。
 旅のあいだの縁。トレーナーという人種は、ポケモンたちは当然のこと、出会うひとびとにも助けられるのだ。もちろんそんな筋あいもないのだが、ありがとうと感謝したいような気持ちになる。
 あたしが出会うまえの彼女に、手を差しのべてくれて。
「……なるほど。あたしもこんど買いに来ようかしら。これももらったことだし」
 取りだしたカードをじっと見つめたヒカリちゃんが、まじめくさった顔と真剣な声音で「宣伝されちゃったのですねえ」と言った。
 一拍をはさんで笑いだしたあたしたちの背後から、ふいに風が吹きつける。はっとして煽られた髪を耳のうしろへ流し、カードをポケットへしまいこんだ。店名も店の場所もわかっているとはいえ、せっかくもらったものを飛ばされてしまうのもいたたまれない。
 となりのヒカリちゃんは花をにぎった手のつけ根で帽子を押さえていた。風の最後のひと撫でが花をゆらし、こちらを向かせる。黄色い中心から放射状にひろがったピンクの花弁。子どもが花と言われて絵に描くような素朴でかわいらしいすがたを見ていると、なつかしい記憶がぼんやりとよみがえった。
「なつかしいな。こういう花で占いしなかった? むかし」
「占い。星占いとかの、占い、ですか?」
「そう。知らない?」
 風がすっかり止んだ。ヒカリちゃんはちいさく二度うなずき、下ろした手のなかの花に視線を落とした。
「どうやって占うのでしょう」
 ええと、とつぶやいてあごに手を当てる。言葉にして説明する機会はなかなかないものだ。よく知っていても、いや、よく知っているからこそ。
「花びらを一枚ずつ取りながら占ってほしいこと、まあ、選択肢かな。そういうのを言っていくの。たとえばかくれんぼの鬼をだれにするか、とか、だれだれはだれだれのことを好きかきらいか、とか。好き、きらい、好き、きらい……みたいに」
「わあ、かわいいです。占いっていうより、あそびみたい」
「まあ、子どものあそびよね。ほほえましいというか」
「むかし、知ってたらやってみたかったなあ。シロナさん、いまならなにを占いたいですか?」
「うーん、そうねえ」
 あたしは色とりどりの景色を五メートルほど背後に流し、結局首をよこに振った。
「……だめだわ。思いつかない。自分から言いだしておいてなんだけど、いまだと、ちぎったらかわいそうっていうほうが先にきちゃうかも。むかしはそんなこと、考えもしなかったのにね」
 苦笑してとなりを見ると、なぜかにこにこと口角を上げたヒカリちゃんと目が合う。
「どうかした?」
 首をかしげると、彼女は口づけるように花を唇に沿えて「たのしいのです」と言った。
「花占いの話が?」
「はい、とっても。シロナさんとわたしが会うまえのことでしょう。あんまり聞く機会もありませんから、新鮮でたのしくって」
 似たような感慨をおぼえたばかりだから、それを聞いてすとんと腑に落ちた。そうか、と内心つぶやきながら笑い、正面へ視線をもどす。
「それならあたしも、わかるかもしれないなあ」
「あれ。わたしのほうはそんな話、しましたっけ?」
「おしえてくれたじゃない。あのお店に行った理由」
 風はつよいが、日差しはやわらかい。あたしたちが歩いていく先に、ゆるやかな起伏を覆いつくす花畑と空の境界線がくっきりと見える。
「……あのお店のこと、どう思いましたか?」
 花畑にときおりうがたれている点のようなひと影は、あたしたちのような来訪者なのか、あるいは花を摘むこの町のひとびとなのか。そんなことをぼんやり考えながら歩みを進めていたあたしの耳に、その声はとなりではなく後方から聞こえてきた。
 早足に歩きすぎていただろうかと振りかえったが、そうではないようだった。ヒカリちゃんは数メートルうしろに立ちどまり、こちらを見つめている。会話がとぎれた間にそこで足を止めたらしく、歩きだすそぶりはない。
 あの店について思いだすのもあの店で感じたものを言葉にするのも、そうむずかしいことではなかった。
 草花の香り、降りそそぐ日差し、店の名前どおりの色彩。あたしたちにそれぞれ一輪の花をくれたスタッフと店長——花屋での用事と言うからにはそれなりの時間がかかるものだと思っていたので、ほとんど店先の一角しか見られなかった。いまになって、それがひどく心のこりだ。
「いいお店だと思ったわ。すてきなお店だな、って」
 ヒカリちゃんは自分が褒められたようにほこらしげな顔で「そうでしょう」とうなずいた。
「旅のあいだからお世話になっていて。と、これはさっきも言いましたね。お世話になっている、大好きなお店なのです」
「……うん」
「いま考えてみたのですけど、そういうお店をシロナさんにも見てほしくて、今日、いっしょに来てもらったのかもしれません。だから……」
 だから、の先は聞きとれなかった。油断したすきを突くように吹きだした風が、音をかすめとっていった。彼女自身もつづきを口にできたのかどうかわからない。
 思わず目を閉じ、片腕で顔を隠す。しばらく落ちついていたぶんよけい強烈に感じるいきおいをそうしてやりすごし、『つるのムチ』がしなるような音が収まったのを見はからって「だいじょうぶ?」と訊ねた。
「は、はい、だいじょうぶです。それにしてもすごかったですね」
 彼女のいたあたりから返事があった、と、思う。目をつぶっていた時間はそうながくないはずなのに、方向感覚と距離感があいまいだ。そろそろとまぶたを開けて腕を下ろしたあたしは、一度まばたきをして正面にピントを合わせた瞬間、返事のかわりに悲鳴を上げた。
「花が!」
「え。……あ、ああっ。そんな」
 無惨にも花びらをすべて失い、中心部だけになった切り花が手のなかにあった。こころなしかまっすぐ天を向いていたはずの茎まで、強風が花びらを奪いとっていくまえと比べてうなだれたように見える。
 ヒカリちゃんもそのさまに心を痛めて声を上げてくれたのかと思ったが、すぐにそうではないとわかった。彼女の手元の花も、あたしのそれとほぼ同じ状態になっている。背後からの風を受けながそうとした際、持っていかれてしまったのだろう。
「うう、さっきいただいたばっかりなのに……せっかく……」
 うめくような声が聞こえてきた。ふだんはあまりはげしい感情の起伏を見せない彼女も、さすがにこの事態は堪えたようだ。今日はじめてあの店に行ったあたしでさえ、せっかくの花をだいなしにしてしまったことに落ちこみ、カードといっしょにしまっておかなかったのをひどく後悔している。ながく親交のある彼女なら、心痛は察するに余りあった。
 唐突に、風のいきおいがほぼ無風と言っていいまでによわよわしくなる。そんなはずもないのだが、まるで肩を落とす人間たちに遠慮したように。
 いまさらよわまってくれたところでどうしようもない。恨みがましく空を仰いでいると、ふいにヒカリちゃんが花弁を失った花を持ちあげ、じっと視線をそそいだ。
「どうしたの?」
「いえ。ちょっと思ったのですけど」
「うん」
「花占い。もし『好きかきらいか』を占うとしたら、『好き』からなのですよね。さっき言ってたのを聞くと」
 意識したこともなかったが、あらためて考えてみれば、たしかに『きらい』からはじめるのはなんとなく語呂がよくない気がする。ヒカリちゃんにおしえた順番が口になじみすぎているからそう感じるのだろうか。
「まあ、そうね。べつに決まりはないんだと思うけど、だいたいは」
「それじゃあ、この場合は。……好きに、なっちゃった、ということなのでしょうか?」
 ヒカリちゃんは先ほどもそうしたように唇に花を寄せ、視線だけであたしを見あげた。
「……そうね」
 一瞬あっけにとられてから、あたしは笑った。
「あたしたちふたりとも、そういうことなのかもね」
 好きかきらいか。好き。
 けれど、花占いがおしえてくれるのはそこまでだ。あとはおたがい、自分たちで知っていかなければいけないんだろう。
 たとえば旅のあいだに生まれた縁や、子どものころのたわいない遊びを知るように。
 眉をさげてほほえんだヒカリちゃんが歩きだし、迎えるように出したあたしの手を取った。
 茎だけの花が二本、つないだ手のなかにある。どちらからともなく歩みを再開したあたしたちの背後から思いだしたように吹いてきた風は、うっすらと花の香りをふくんでいた。なくしてしまった花びらたちが手のとどかないところでひらめいた気がして、あたしは上空に向かい、すうと目をほそめた。