七文字の呼吸音
彼女からはいろんなことを教わった。爪と指のあいだの皮がハイポニキウムといい、育てれば爪のかたちがうつくしく見えること。魚から進化して、最初に陸にあがったと言われている生物の名前が、イクチオステガだということ。
ねえ、また忘れちゃった。ここ、なんて言うんだっけ。
私はよく、彼女に訊いた。指をまげ、猫のまねをするみたいなしぐさで爪先をしめしながら。そのたびに彼女は「何回訊いたらおぼえるの?」とあきれまじりに笑って、それでも何回でも、ハイポニキウム、という言葉をくりかえしてくれるのだった。
ほんとうに七文字の言葉が好きね。
と、彼女はよく言った。私がハイポニキウムやイクチオステガにくわえ、アスパルテームやボードビリアンなんかの七文字で筆記する、それも彼女から教わった外来語ばかりを執拗に言わせたがったから、そう思ったのも無理はない。その認識も、おおむねまちがってはいない。
けれど実のところ、ハイポニキウムにべつの、たとえば六文字や五文字の名前がついていたとしたら、話はすこしちがっていただろう。
私が彼女に、七文字の単語へ執心する女として認識されるようになったそもそものきっかけは、何度目かのセックスのあと、ふいに彼女の爪に目がとまったのでそのきれいにととのえられたオーバル型を褒めたら、彼女がありがとう、と笑ってから私の深爪ぎみの指先をまじまじと見つめて、「これじゃあ、ハイポニキウムが育たない」とつぶやいたことだ。
「なにそれ?」
どんなときでも、それこそセックスの最中にも終始理知的で落ちついていた彼女の口から、急に謎の言葉が飛びだしたので、私はあっけにとられて訊きかえした。彼女はその後何度となく口にさせられる『ハイポニキウム』の記念すべき一回目につづけて、かみくだいたわかりやすい説明を私にさずけ、私は爪と指のあいだの皮につけられた、味の想像がつかない外国のお菓子みたいな名前を気にいった。彼女自身の態度と同様に落ちついた、硬質でさえある声で、むやみにふわふわしてまるみをおびた言葉が発音されるギャップもよかった。
つぎに教わったのがイクチオステガだった。といってもこれは、なんとなくつけたテレビが流すクイズ番組をなんとなくふたりで観ていた——もっとも正確には『なんとなく』観ていたのは私だけで、クイズ好きな彼女の鑑賞態度はしごく熱心で前のめりなものだったが——際、回答にまよう出演者をよそに彼女が即答したものだ。なので教わったというよりは、彼女のおかげで知った、というほうが事実に即している。
アスパルテームもボードビリアンもたしかそんなふうに彼女の声にのせられ、私の日常へころがりおちてきたのだったと思う。
彼女にはついぞ知らせなかったものの、私は気にいった言葉たちひとつひとつに本来の意味とはいっさい関係のない、好き勝手な印象を持っていた。ハイポニキウムは前述のとおり。イクチオステガは指の骨でこづいてみたときにマウスのクリック音のような、こつこつという小気味いい音がしそう。アスパルテームとボードビリアンはおのおのおもむきのちがった、きれいなみどり色をしていそう(我ながら安直だが、たぶんこれは、それぞれアスパラガスとビリジアンからの連想だ)。
要するに彼女が教えてくれたものめずらしい言葉のうち、私がとくべつにひびきを気にいった単語が、偶然どれも七文字だっただけにすぎない。
ハイポニキウム、イクチオステガ、アスパルテーム、ボードビリアン、そのほかにもたくさんの七文字たち。
ひかえめに言ってどれも、生きていくためになんら必要ない言葉であるのに、うたがいの余地はなかった。私は爪をのばさないし、何億年なんてとんでもない単位のむかし、はじめて地表を闊歩したといういきものにも、さほどのロマンは感じない。しいていうなら食品の成分表示を見たとき、ああこれには人工の甘味料がはいっているのですねと判断がつくようになったのは収穫かもしれないが、そもそも添加物のたぐいを気にするほど健康志向でもないので、知らなかったとしても深刻に困る機会はなかっただろう。
それでもたまに、七文字たちを口に出してみる。そうすると並んで街を歩いていたとき、彼女が店先の看板やのぼりに『フライドチキン』や『ドラッグストア』の文字を見つけて私の袖を引いたことや、おなじ言葉を何度も訊ねる私に、何度でも教えてくれたことを思いだして、やわらかな感情が胸をみたすのだ。
彼女からはいろんなことを教わった。スクロースの二百倍ほどの甘さを感じさせる合成甘味料に、アスパルテームという名前がついていること。軽演劇を演じる役者を、ボードビリアンということ。
人生に必要のない七文字の言葉たちが、どれも彼女の声で発音されると、きらきらかがやいて聞こえたこと。それを聞くとすこしだけ呼吸がしやすくなったから、たぶん私は何度も、何度もせがんだ。
いま、彼女はとなりにいない。だから、街なかで七文字に目をとめて私に知らせてくれるときの平然とすました顔や、私があまりに何度もせがむせいでちょっと照れた顔で言うようになった『ハイポニキウム』を、見たり聞いたりすることはもうできない。
それでも彼女のかわりに、彼女の教えてくれた七文字だけが残って、私の日常にささいなぬくもりをあたえるから、さみしさやかなしさはとおいところにある。
ハイポニキウム、イクチオステガ、アスパルテーム、ボードビリアン、そのほかにもたくさんの七文字たち。
さほどロマンを感じない古代のいきものや、たぶんみどり色はしていない合成甘味料に感謝をささげながら、私はときおりつぶやいてみる。
やわらかな感情にひらいた喉でする呼吸は、すこしだけ甘い。